おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

リネカー (20世紀少年 第737回)

 今日は脱線。最近、まじめな感想ばかり書いていたので少し息抜きをしたくなりました。雑談のテーマはサッカー。あえて、きっかけを挙げれば第21集の終わりでサッカー・ボールを抱えた少年が、”ともだち”の流したギターの音を不審そうに聴いていたのと、モンちゃんが話題にしていた日韓大会の華、ベッカムの引退。お疲れさまでした。そして日本代表、予選突破おめでとう。戦いは始まった。

 Jリーグは今年で20周年。前にも書いたような記憶があるが、長男と同い年なので覚えやすい。今年、成人になる年代はJリーグの開幕を知らないのかー。私は運よくその少し前に海外駐在から本帰国して間に合った。ヴェルディが強くてラモスや北澤が中盤で走り回っていたころだ。1993年。準備期間がバブル景気と重ならなかったら、Jリーグの発足はもっと遅れてしまったかもしれない。


 私は1960年の生まれ。同い歳のサッカー選手が3人、1986年のワールド・カップに参加して活躍している。サッカーは人数の多い団体競技とあって、ただ一人の選手の活躍で世界大会に優勝できるほど甘くない。しかし例外のない規則はない。ワールド・カップ史上、果てしない賞賛とお笑いと共に、その唯一の例外として語り継がれているのが、この1986年大会の開催国アルゼンチンの優勝である。

 この年の私はたまたま、それほど仕事が忙しくない部署にいたので、地球の裏だから時差の関係でライブは辛いが録画でよく観戦していました。マラドーナマラドーナによるマラドーナのための大会であった。サッカー・ファンには説明不要の「神の手」と「5人抜き」の年である。このマラドーナが同い年の一人です。残りの二人はJリーグの開幕に合わせて日本に来てくれた。


 ジェフに在籍したリトバルスキーについては、かつて1982年のスペイン大会を話題にしたときにも触れました。リティーがいたころの西ドイツは強く、この大会でも決勝でアルゼンチンと接戦を演じて二大会連続の準優勝を飾っている。最近の欧州の強豪というとスぺイン、ポルトガル、イタリア、フランスと地中海性ラテン系国家が目立つのだが、当時はなんたって西ドイツであった。

 もう一人の同い年はサッカー発祥の地、イングランドの代表リネカーである。ベッカムの先輩だ。この大会でイングランドは準々決勝で敗退したにもかかわらず、リネカーは大会最高得点の栄誉に輝いている。この準々決勝は記録によるとアルゼンチンが2対1で勝っており、勝者の2得点はディエゴ・マラドーナ、敗者の雪辱ゴールはゲーリー・リネカーによるものだが、残念ながら私は見逃している。


 リネカーグランパスに来た。今でもJリーグ開幕直後の報道におけるリネカー関連の記事を二つ覚えている。一つは週刊誌の巻頭カラー写真入りのもので、ピッチに倒されたリネカーが泥まみれの顔を痛みにゆがませている強烈なショットだった。記者もカメラマンも怒っているのだ。その記事によるとリネカーは長いサッカー歴においてレッド・カードはもちろんイエロー・カードすら一度も食らったことがないという。その選手を日本のディフェンスがファウルで倒す。

 最近のサッカー放送をテレビで観ていると、敵陣内でPKを「獲る」のが賞賛されているらしい。先日の豪州戦の中継も酷かった。確かにPKの成功率は7割とか8割と言われるほど高いから、あまり点が入らないサッカー競技においては絶好のチャンスである。だが、そんな演技のうまさを褒めている場合か? アナウンサーがはしゃぐのはともかく、選手経験のある解説者まで喜んでいる。当時も今も日本のサッカー関係者はリネカーの精神を引き継いではいないのだろうか。


 もう一つの報道は当時ガンバの監督を務めていた釜本の起こした騒動に関するものだ。誰が見ても誤審だというガンバに不利なジャッジがあったらしい。記憶が定かでないが確か釜本監督は激烈な抗議をして退場になった。翌日あるスポーツ新聞が30人か40人か、よくまあ短時間にこんなにコメントを集めたもんだと感心するぐらいの関係者の意見を求め、見開き2ページで大特集したのを読んだ。

 一人を除き全ての回答者が誤審を責め、釜本さんを気の毒がった。よほどみっともないジャッジだったのだろう。特に彼や杉山の現役時代を知る私の世代以上の年代にとって彼はサッカーの神様みたいな英雄である。だが、リネカーだけは敢然と言い放った。サッカーはレフリーのジャッジが全てだ。何事もそれに優先しない。


 リネカーリトバルスキーも33歳になる年の来日だったから、日本での活躍期間はあまり長くなかった。若い世代のファンに馴染みが深いのはリネカーと入れ替わるような形で名古屋にやってきたストイコビッチのほうだろうな。私の手元にある「オシムの言葉」(木村元彦著)の巻頭には、妖精が恩師にささげた「彼の下で働けたのは本当に幸せだった」というメッセージが載せてあり、丁寧な字で「Pixy」と署名がしてある。

 サッカー報道でもう一つ気に入らないのは、相手の進撃を日本の選手がファウルで止めるのも良いプレイだと評価することだ。戦争でさえルールはルールで守らなけば非難される。たとえば白旗を掲げた使者を撃ってはいけない。どこの世界に積極的にルール違反するスポーツ選手をほめる文化があるか。私はリネカーからサッカーの正義を教わった。だから、これからもサッカーの正義の味方を続ける。



(この脱線おわり)




まだあったとは...(2013年5月25日撮影)



































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