おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

第21巻の終わり (20世紀少年 第736回)

 「”よげん”なんてウソだよ」という”ともだち”の上目づかいが気に入らない。続いて彼は「全部僕がやったことだ」と言ったが、多分これもウソだろう。ウソではないとしたら、血の大みそかの一連の騒動も彼の仕業ということになるのだが、少なくとも彼だけがやったことではあるまい。「やれ」と言っただけでは大した悪ではない旨、ケンヂも言った。

 ともあれ、いきなりこんなことを言われて、秘密基地のヨシツネやユキジやオッチョもガッツボウルの神様やコイズミやカンナも総立ちとなった。「な...」と口をきく余裕があったのはオッチョだけか。そりゃそうだよなあ、嘘つきに嘘だよと言われたら、何をどう信じていいか分からん。


 これに続いて”ともだち”が語った「神は一週間でこの世界をつくられた」については2月に散々、文句をつけたので詳しくは繰り返さないが、正確には六日間であって一週間ではなく、世界ではなくて天地である。ここでの問題は接続詞「だから」に続く「僕は一週間でこの世界を終わりにします」である。一週間で世界を滅ぼせるのか、あるいは逆に、そんなに日数が必要なのか。

 このあとの話の筋からすると、”ともだち”はこの前後に巨大ロボット2号のリモコンを手に入れているのだが、時系列で描かれているならば、この宣言のあとで入手し、リモコンは少なくとも二つあって、一つは敷島教授の娘に手渡した模様である。この一連の手続きのために日数が必要だったらしい。それからもう一つ、東京都民が上手いこと万博会場に集まってくれる時間も必要だ。そうそう、ケンヂにも来てもらわないといけない。


 画面を見つめるオッチョもカンナも絶句している。神様の預言は当たった。おもちゃ箱をひっくり返したのだ。それも未だ万博会場の集客方法も定まらず、ロボットの動かし方も習っていないのに、いきなり事態は急転直下である。またしても相手のペースに振り回されることになった。「さようなら、みなさん」と別れの挨拶を述べたあとで、”ともだち”は電波が届く範囲にいる全員に向けて、「ケンヂくん、遊びましょう」と言った。またか...。円盤3機が上空をホバリングしている。

 これで第21集の終わり。第22集の表紙絵はケンヂとナショナル・キッドのお面が半分ずつ。背景はおもちゃ箱みたいなもので、鉄人28号ドン・ガバチョの人形などが描かれている。ボンカレーもあるが、私の記憶では60年代当時インスタントやレトルトの食品というのは結構、高くて、私の場合、インスタント・ラーメンなどは大変なごちそうであった。お菓子はあまりなくて、パンの耳に砂糖を塗って食べていました。


 第1話のタイトルは「告白のあと」。カンナの手の者が「万博会場へ避難せよ」のポスターを張ったり、ハンド・スピーカーでご町内のみなさまに集合を呼びかけたりしているのだが反応がない。地球防衛軍はまだ少し戦意が残っているようで、彼らを見つけて追いかけている。

 これに続く8ページはヨシツネ隊長の独白だ。あれから2日間、暴動、略奪、逃亡、反乱が相次いだが、すべて鎮圧されてしまったという。逃亡や反乱はともかく、暴動や略奪とは看過できぬ。2011年の日本人はほとんど全くそういうことをせず、世界は目を見張ったのだ。政治が悪いと、かくも人心はすさむのか。

 いやこれは政治などというものではないな。なんせ治世者が人民を皆殺しにすると公言したのだ。人類史上たぶん初めてだろう。略奪された店舗は珍しく本名でセブン・イレブンである。食糧その他、生活必需品を奪って人々はウィルスから避難すべく自宅をシェルターにした。


 これに対してヨシツネは批判的、否定的である。窓や通気口をふさいだぐらいで、今度まかれるであろう最終ウィルスから逃れられると思っているのかと悲観的になっている。はい、みんな思っています。というよりも願っているのだな。

 太平洋戦争のときは空襲があると電気を消してじっとしていたと家族に聞いた。米軍は容赦なく照明弾を投下し、続いて焼夷弾の雨が降る。近所の老人は、目の前にいた女性の体を焼夷弾が貫通したのを見たと言っていた。

 そのアメリカ軍が東京湾原子力空母を派遣したという情報がヨシツネらに伝わっている。”ともだち”はどうやら日本語だけで放送したようなのだが、内容が内容だけに世界中に広まっているかもしれない。隊長は米軍の総攻撃を恐れている。空襲に艦砲射撃でも加わった日には東京も再び焼け野原だ。”ともだち”の告白から二日、残るは五日、「何とかしなくちゃ」とヨシツネは思案にくれる。


 雑談で終わろう。私が子供のころの日本人は原爆被害の恐怖いまだ冷めやらず、放射能に対して極めて敏感であった。以前ここに書いた放射能雨に対する過敏な反応もその一つだったが、ほかにもいわゆる非核三原則というのがあって、アメリカの原子力空母エンタープライズは移動するたびにニュースになっていたものだ。生まれる前に起きた第五福竜丸の事件も繰り返し報道されていた。ゴジラまで生まれた。それがいつの間にか放射能に鈍感になった。

 血の大みそかの巨大ロボットは、「ロボット会議」の結論およびロボット頭部の原子力マークによれば、「よげんの書」どおり「原子りょく巨大ロボット」だったのだろうか? たぶん違うな。そもそもロボット自体が、こんなものロボットとは呼ばねえとケンヂに酷評された代物。それに新宿で核爆発が起きたら、”ともだち”だって困るだろう。あれはハッタリだ。でも今回はハッタリではない。最悪の事態が起きても、”ともだち”は困らない。



(この稿おわり)




西日暮里では新幹線が地下に出入りするのを見物できる。
(2013年5月19日撮影)











「一巻の終わり」: 死ぬこと。また、すでに手遅れであること。

































.