おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

1969年の旗 (20世紀少年 第722回)

 第1集第6話の「月に立つ旗」によると、1969年7月21日、アポロ11号の月面着陸成功に感激したドンキーは、神社の階段で胸を張り「俺達も月面に月を立てよう」と勇ましい計画を発表した。第6話の終わりのページで満月を眺めるカンナを背負いながらドンキーの通夜から帰宅するケンヂは、ドンキーがどんな旗を立てようとしたか思い出せないでいる。

 ただし、ケンヂは月面に立っているはずの星条旗に思いを馳せている。「今もまだ、1969年の旗は立っているだろうか。」と。すぐあとの同巻第9話に、ドンキーが立てようとした旗とその意図が示されている。「宇宙人が攻めてきた時、月面の前線基地にこれを立てる」のだ。地球防衛軍ごときより、はるかに気宇壮大である。秘密基地の閉鎖式典は、マルオが手にしているカンカラ出土の平凡パンチが2月5日号になっているので、1971年の2月ごろだろう。


 第21集第9話「この旗のもとに」は、長い長い夏の一日の一部を描いたもので、まずはその日に起きた乱闘事件の直前の絵から始まっている。その場所は原っぱの秘密基地、時は少年たちが読んでいる平凡パンチの表紙からして1969年の夏だ(ケンヂの記憶では夏の終わりごろ)。この表紙は大橋歩さんのイラストによるもので、さすがはインター・ネット、これが1969年5月12日号であることがわかる。

 私はもっぱら「週刊プレイボーイ」と「GORO」で大人になったので、残念ながら「平凡パンチ」を読んだ覚えがほとんどない。だから、世に名高いリンゴのヌード写真もはるか後年になって知った。うちの父にはケロヨンやオッチョの父ちゃんのような雅趣がなく、母も厳しくて自宅に「エロ本」の類はなかったので、WPBもGOROもクラス・メートに見せてもらっていた。


 ケロヨンが持ち出した平凡パンチに共々興奮しているのはマルオ、コンチ、ヨシツネの3人。後にまた触れるが、このころケンヂは夏休みの宿題が進んでいなくてウロウロ歩き回っていたようであり、オッチョは中村のお兄ちゃんの部屋にいる。なぜかモンちゃんはこの日いなかった。さて、平凡パンチの裏表紙に自動車の絵と「ダイナミック ブルーバード」という英語タイトルの広告が見える。

 子供のころ父が日産に勤めていたことがあるので、私はいまも日産びいきである。ボディー・ランゲージも通じないお方が社長になられても日産は日産、日本産の自動車会社なのだ。貧しかった我が家にも日産サニーがありました。「隣の車が小さく見えます」というネガティブ・キャンペーンを張って、トヨタの名作カローラに挑戦した車種である。


 ただし実家の車はボロボロの中古で、後年とうとう売ろうということになったとき、ついに売れなくて廃車。後から買って付けたカーラジオだけが数千円で売れた。そんな家計だっかたらブルーバードの新車なんて夢のまた夢であった。さらに言えば私はスカイラインのほうが好きでした。理由は単純明快、テレビのコマーシャルが抜群の出来だったからだ。ケンとメリー。

 少年たちは車どころではない。「いくぞ、いいか」とケロヨンも迫力満点の掛け声。「いいのかよ、こんなの見ちゃって」などと言っているが、なぜ漫画は基地の絵しか描いていないのであろうか。めずらしく不親切である。それはともかく、間の悪いことに最凶(凶子より上がいたのだ)の双子、ヤン坊マー坊が再び「恋の季節」を歌いながら近づいてきた。しかも、今回は基地が見つかってしまったのだ。



(この稿おわり)






 道の向こうへ出かけよう 
 今が通りすぎて行くまえに



































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