第21集の第7話は「つづきのよげんしょ」というタイトル。かつて病床のモンちゃんはユキジに「よげんの書」に続きがあったと述べたが、「しんよげんの書」にも、続きがあったのである。そしてこの第7話は「しんよげんの書」やその続きに書かれた予言と、関係のある出来事が組み合わせられて紹介されていく。
第7話の扉絵はスケッチブックとその表紙に記された「しんよげんの書」の文字。この表紙のコピーはモンちゃんが入手した資料にも含まれていた。最初に出てくる予言はおなじみの「ばんぱくばんざいばんぱくばんざい。じんるいのしんぽとちょうわ。」で(もっとも、これは予言とは言えないのではないか)、これはその直前に描かれているニセ太陽の塔で遊んでいる”ともだち”の絵と対になっている。
次に出てくる予言は116ページ目の「そしてせかいだいとうりょうがとうじょうするだろう」だ。国連ビルが描かれている。これはニューヨークのイースト・リバー沿いにあるもので、私も中に入ったことがある。内部を紹介するツアーに参加した。そのときは幸い国連総会は開催されておらず、このページに描かれている大きな逆すり鉢型の会議室にも入れてもらいました。
これがそのまま、ともだち歴3年に残っているとしたら、もしも高須のいう「アメリカは内乱状態」ほか世界中が混乱しているという話が正しいのであれば、ここで呑気に国連の会議など開かれているはずがない。やはり口から出まかせの高須節であろう。司会者が何度も地球の危機を救った「われらが英雄。世界大統領、”ともだち”です」と言って、テレビ会議の画面に映し出された目玉男を紹介している。
第16集のころだったか、私は大統領というのは共和国のトップすなわち国家元首のことだから、世界が一か国にならない限り世界大統領の出現は有り得ず、でも”ともだち”が滅んでからも国連軍はあったのだから、勝手に世界大統領を僭称しているのだろうと書いた。間違っていました。国連公認みたい。
だが、その”ともだち”本人が「ハロー、エヴリバディー」と発音も英語風に気取って挨拶したあとで、「各国首脳のみなさん」と演説を始めているので、各国は存続しているに違いなく、どうやら名誉称号みたいなものなのだろう。続いて彼は新たな予言を伝えると述べ、さらに地球に再び危機が訪れようとしていますと述べたから満場は騒然となった。
バカか国連はとユキジなら言うだろうよ。人のことをバカと言ってはいけないと私たちは子供のころ何度も叱られたが、一向に意に介することなく、「20世紀少年」にも頻出するように「バカ」と呼び合った。本物の予言者であれば、多数の犠牲者が出てからワクチンをいそいそと配ったりせず、ウィルスが蔓延する前に警告を発したであろう。
ところが今回の”ともだち”によると、今回の危機はテロリストどころではなく、「宇宙人の襲来です」ときた。その宇宙人は史上最悪のウィルスをばらまくというから珍しく有言実行するつもりらしい。彼いわく我々人類が生き残る道はただ一つで、「火星へ移住するのです」であった。人差し指を天に向けていて、それがマスクの左手模様と重なっている。
驚きの国連本会議室の次に、3つ目の「せかいだいとうりょうは かせいいじゅうけいかくを はっぴょうしました」という本邦初公開の予言が登場する。そして場面は漫画本がぎっしり並んだ子供部屋。神経質にも単行本すべてにカバーがかけられているので、フクベエの部屋だろう。そのフクベエと山根、そしてナショナル・キッドのお面の少年が座っている。
フクベエ少年は「かせいいじゅうけいかく」のページを見ながら、「何だこれ」と小馬鹿にしている。彼が「おまえが書いたのか」と訊いた相手はお面の子だが、うつむいて何も言わない。だめだ、こんなのとフクベエは却下して、そのページをビリリと破ってしまう。山根は”ともだち”に迎合して「だいたい火星移住なんてできるわけないだろ。空気もないのに。」と一緒になっていじめている。
確かに空気はない。レイ・ブラッドベリの「火星年代記」も、なぜ火星に人類向けの空気があるのかについては沈黙している。フクベエは「お前、何もわかってないよ」と言った。何が分かっていないかというと、「せかいだいとうりょうは無敵になるんだよ」という計画であった。地球上で無敵という意味だろう。火星に逃げてはだめなのだ。山根は「だよね」と言い、お面は黙ったままだ。
先ほど触れた第7話の構成に従えば、国連で火星移住をぶち上げた”ともだち”と、フクベエに火星移住を無視されたナショナル・キッドは同一人物であるに相違ない。うるせい奴らがいなくなったので、ようやく発表できたのだろう。そしてこの”ともだち”がサダキヨでないことは後の展開ではっきりしているので、このナショナル・キッドの少年はカツマタ君だ。脚があるから幽霊ではない。
最後に、国連の公認といえば、とうとう富士山がユネスコの文化遺産になってしまった。地元は観光業でうるおうだろうし、ここまで奔走してきた関係者の努力や喜びに水を差すのは本意ではないが、富士山は山であって遺産ではない。マスコミも、なぜユネスコやミシュランのお墨付きなどを、そんなに有難がるのだろうか。
先日、静岡市出身の3人でしゃべっていたら、3人とも富士山に登ったことがないことが分かった。あの優雅な山を日々ながめては暮らしてきた人々の多くは、富士山を足蹴にする気になどなれない。遠くから仰ぐべき山である。非国民と呼ばれようと、私のこの意見は変わりません。山根だって富士山をみて改心したではないか。せめてこれ以上、汚さないでください。火の山、神の山を怒らすと怖いよ。
(この稿おわり)
つつじ満開 (2013年5月5日 こどもの日撮影)
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