おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

走馬灯 (20世紀少年 第714回)

 第21集第6話の最後のあたり、高須が中谷に「ちゃんと理解しなきゃダメよ」と偉そうに語った後で、気持ち悪いシーンが出てくる。舞台は東京万博会場で、ニセモノ太陽の塔の内部。”ともだち”が一人で遊んでいる。彼の周囲には2015年に蝶野刑事が見たものと同様の光景が繰り広げられている。子供のようなものがかくれんぼだか鬼ごっこだかをして遊んでいる。

 蝶々君がケンヂに語ったときの絵は、走り回る小さくて黒い人影が壁や床に投影されていたものと、曲がり角の壁に半身(萩尾望都の「半神」を未読のかたは是非一度お読みください)を隠して、ケンヂくんに遊びましょうと呼びかけているようなもの。これが本物の子供なのか人形なのか絵では分からない。暗くて蝶野刑事は人数も把握できなかった。


 もっとも「21世紀少年」の上巻147ページに蝶々君が見たものとそっくりな子供の人形を国連軍が発見しており、たぶん両者は同一のものだろう。ルチアーノ神父と蝶野刑事が塔の中に入ったのは偶然なのだから、本物の子供が待ち構えたように遊んでいたはずもない。ここで国連軍の兵士は「また子供の人形ですよ」と気味悪がっているので、複数の人形が塔内に置かれていたのだ。置いたのは”ともだち”以外に考えられない。

 では、この人形の顔は誰だ? ケンヂの少年時代の「まぬけヅラ」(本人談)とは違う誰かだ。誰でしょう。ところが人形だけでは飽き足らなかったようで映像も用意されたらしい。どうやら、人影がくるくる回っているようなので走馬灯のようなものか。人は命の終わりを迎えるときに、思い出が走馬灯のように蘇るという。ならば我々は、そのときに備えて悔いが残らないように生きないといけない。


 走馬灯は回り灯籠ともいう。21世紀に生き残ったであろうか。私が幼いころの実家にもあった。ただし回り灯籠は子供のおもちゃではなく、大人おもちゃといっては語弊があるが、何というか灯籠という呼び名が示すように儀式的な雰囲気もあって私は好きだったな。ところで、この第6話113ページ目の絵には、人形でも走馬灯でもないと思われる絵も出てくる。

 このページの中段で走っている子は、足とその影が離れているので宙に浮いているはずだ。床に置かれた人形ではない。かといって回り灯籠のような影だけの映像でもない。これはホログラムか? ホログラムは一種の立体画像でSF映画にもよく出てくる。特にジョージ・ルーカスが好きで、スター・ウォーズ第一作では、R2D2がプリンセス・レイアのホロを投影している。あのときレイア姫は、あなただけが私たちの希望ですとオッチョみたいなことを言っていた。


 まあ、小道具はどうでもよろしい。”ともだち”はここで何をやっているんだ。この人は以前の”ともだち”と比べて孤立の度合いがはるかに大きい。20世紀当時はサークル活動だのコンサートだのと、”ともだち”は多くの仲間に囲まれていたものだ。2015年に入っても、春さんと一緒に歌など歌っていたのだ。多分こちらは目立ちたがり屋で自意識過剰のフクベエだろう。

 それと比べて、ともだち歴の”ともだち”は一人でいることが多い。この影の薄さというか人間嫌い的な風景は、どのような過去がそれを作り上げたのか、これから読んでいくことになる。


 以前、英語を勉強すると日本語の理解も高まると書いて例を挙げたが、私の場合は他にも「alone」と「lonely」の違いが新発見であった。前者は一人でいるという状態であり、後者は寂しいという感情である。人間の心理は不思議なもので、一人でいても淋しくないときもあれば、一人でいるわけではないのに淋しいときもある。

 学校や職場で大勢の知り合いに囲まれながら強烈な孤独に苛まれた経験のある人も少なくないのではなかろうか。あれは本当につらい。数年前に便所飯の話を聞いたとき、さすがに作り話だろうと思っていたのだが、学生の就職支援をしている人に聞いたところ、実際にその経験があると語った学生が何人かいるとのことだった。やめようぜ、そういうの。


 他人が余計なことを言うなと言われそうだが、人の真価は往々にして他者が見ていないところで顔を出す。人間、矜持というものは大切であって、一旦それを失うと立ち直るのは容易でない。それに、最期のときを迎えて走馬灯のようによみがえった記憶に、そういうものが含まれていたらガッカリだ。

 こんなところで”ともだち”は走馬灯や人形を見て何を思うか。過去を懐かしんでいるわけでも、ケンヂを慕っているわけでもなさそうだ。すでに、やけのやんぱちになりつつある。第20集の表紙絵のように、小さな地球を弄ぼうとしている。彼は自ら、僕こそが20世紀少年だと名乗った。そのまま放置すると、漫画「20世紀少年」の主人公はこの男になってしまわないか。他の登場人物に頑張ってもらうほかない。



(この稿おわり)




近所の公園にて (2013年5月4日撮影)


 
 

 
 
 人類は小さな球の上で
 眠り起きそして働き
 ときどき火星に仲間を欲しがったりする
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     谷川俊太郎  「二十億光年の孤独」の冒頭


















































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