おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

13番改め (20世紀少年 第692回)

 先日、新聞か雑誌の記事を読んでいたら、最近、映画化されて評判になったミュージカル「レ・ミゼラブル」で、ジャン・バルジャンが娑婆に戻ってからもジャベール警部に囚人番号で呼ばれ続けて憤慨するシーンがあるというようなことが書かれていた。しかし私は小学生のころ「ああ無情」の愛読者で何回も読んだし、「レ・ミゼラブル」も十代のころ通読したのだが、そういう場面があったという覚えがない。アレンジで付け加えたか。

 学生時代にポール・マッカトニーが講演のために来日したのだが、成田空港でユキジの先輩に大麻を所持しているのを発見されてブタ箱に放り込まれている。それから一二年ののち、イギリスで朝日ジャーナルの記者が彼を取材したインタビュー記事が同誌に載った。数字は忘れたがポール容疑者も「サンバン」とか「ジュウサンバン」とか呼ばれて、それを懐かしんでいたらしい。

 その記事によると彼は留置所の中でギャングスターのような男に教わったという歌を記者に歌って聞かせたそうだ。曲名は忘れてしまったが、当時誰でも知っているような任侠的な歌だった覚えがある。ポールの歌詞はてんで出鱈目で、しかしメロディーは完璧であったという。さすがプロだが、しかし一体、何しに日本まで来たのだろう。

 
 コンチは命からがら冬のソナタの商品開発室に戻り、13番に敵の襲来を告げた。ここも危ないから逃げようと親切に誘いに来たのだが、相手は意外や冷静で「それはたぶん、お前の敵だ」と嫌なことを言った。あんなラジオを流しているから、あいつらはお前を狙っているのだという。コンチは電話がかかってきたのを思い出している。あのとき「リクエストかい?」と訊いてしまったのだ。自己紹介同然である。

 どうしようとうろたえるコンチに、部屋の男はもう一度、なぜか「お前があんな歌、流すからだ...」と繰り返した。どうやら口調が変わったようで、コンチも「え?」と訊きなおしている。相手は「グータララ♬ スーダララ♬」と歌ってよこした。そしてもう一回「お前があんな歌、流すからだ...」と念を押すように言った。


 コンチは黙って耳を澄ませている。ここは口をはさむような場面ではないのだ。彼も北海道の荒野で一人残されるまで、そして残されてから、どれほど辛い思いをしてきたか。この後、そうとは知らずケンヂと会ったときのことを彼は思い出しているのだが、そのときのセリフの中に彼の苦労がにじみ出ている。それに、この曲の感想を初めて聞く機会でもある。

 この歌を聴いていると「よくわからなくなるんだ...どうでもよくなるんだ...」という妙な評価であった。何がどうでもよくなるかというと、宇宙と一体化することも真理を見ることも。私が記憶する限り、”ともだち”が宇宙との一体化について説教を垂れたシーンはなかったと思うのだが、ともかく13番にとっては今わの際まで大事な教えだったようだ。


 「見つけてくれる、本当の友達なら...」と13番はコンチのセリフを復唱している。3年間、彼は打ち捨てられていたのだ。コンチはここで、かくれんぼの結末を思い出している。彼は隠れるのが「うますぎ」て、鬼役ケンヂも最後にようやく「見ーつけた」と息も荒く誇らしげである。ケンヂのコメントがなかなか印象的で、「俺たちが作った“よげんの書”通りの世界になったとしても、おまえは生き残るな。」という絶賛であった。

 えへへとコンチ少年。見つかったかとヨシツネ少年。ケンヂはおうと応えて、「いくぞ、コンチ」と本当の友達に声をかけた。はたして”よげんの書”よりも更にひどい世界になったのに、コンチは生き残っている。「お前は誰だ」と相手の男はコンチの人となりを認めたらしい。「俺は今野裕一」とコンチは言った。ついでに「子供のころはみんなコンチって」呼ばれていたことも伝えた。

 
 ドアが開いて出てきた男は「俺は13番」と返礼してから、「いや、田村マサオだ」と訂正した。もう番号で呼ばれたり名乗ったりする筋合いはないのだ。マサオはケンヂが三十代後半のころ大学生だったので、コンチより一回り以上、若いはずだが、逆に彼のほうが老けて見える。これは運動不足やお菓子の食い過ぎが原因ではなく、長い間の葛藤が彼から若さを奪ったのだろう。

 ヘリコプターの盗難防止のため外してあったバッテリーをコンチに預け、マサオは小銃を構えて走る。敵が来た。先頭の3名を連射でなぎ倒す腕前は衰えていない。銃をコンチに預けたマサオは、エンジンがかかるまで撃ちまくれとコンチに言った。若いから知らなくても仕方がないのだが、コンチの服装を見れば彼が全身全霊でラブ&ピースの男であることが一目瞭然なのに。

 やはりコンチはスナイパーとして使い物にならなかったが、幸いエンジンはすぐに動いた。ヘリのプロペラが回転し、雑草を振り払ってヘリは離陸した。「行くぞ」と田村。「どこへ」と今野。「”ともだち”に会いに行く」と驚きの行先であった。ここにも決着をつける必要がある者がいたのであった。コンチはどんだ迷惑に巻き込まれたものだが、曲を流した責任というものがあろう。



(この稿おわり)




爆弾低気圧の後ろ姿 (2013年4月7日撮影)

































.