おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

たぶん... (20世紀少年 第691回)

 コンチは部屋の中でかたくなに”ともだち”賛歌を唱える相手を見離して、お菓子屋さんを去った。「くそったれ」と運転しながら悪態をついている。あんな奴のためにも、あの曲をかけてかけてかけまくってと決意を新たにするのであった。

 そのころ再び一人ぼっちになった13番は、本当の友達なら見つけてくれるよとコンチが言い残した言葉を心の中で反芻している様子である。本当の友達という表現はすでに第1集に出てきました。秘密基地の中でオッチョが言う。「このマークを知っているのは、本当の友達」なのであった。13番は考える。”ともだち”は本当の友達なのかどうか。


 彼はとりあえずたどり着いた結論を口に出して言ってみた。「あの方は2015年に亡くなった...今いる”ともだち”の正体は...たぶん...」。ちゃんと最後まで言ってほしいものである。13番ともあろう者が、こんな思わせぶりな独り言で終わって良いのか。仕方ない。このわずかな手がかりで想像を膨らませるしかない。

 あの方という敬語は、彼を癒してくれた”ともだち”のことに違いない。第1集の120ページで、田村マサオは挙手して「”ともだち”、本当の意味で、癒されるとは、どういうことなのですか?」と尋ねている。”ともだち”は「いい質問だね」と褒めてくれたし、続いて「私と共にあること。それがすなわち癒されるということです」と教えを説いて拍手を浴びている。


 私には意味不明だが、マサオはこれで癒されたようであり、共にあり続けると誓ったのだろう。たぶん...。「共」と「友」の語源は同じではないかと思う。”ともだち”と共にあるということは本当の友達であるということか? その次の「2015年に亡くなった」というのは、正月の夜の理科室で山根に撃ち殺されたことを指しているはずだが、その当時そう信じていたら、万博会場で”ともだち”と共に出来レースの復活劇を演じるとは考え難い。

 後になって本当に死んだことに、つまり誰かがすりかわったことに気付いたのだ。「正体」という言葉は、正体を現したなというふうに使うのが通常で、あまり良い意味ではない。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だ。では、それはいつのことかとなると、まず間違いなく彼が北海道まで逃げてきた3年前、西暦が終わったころだろう。もはや共にいても癒してくれないことが分かったのだ。


 2015年に世界中でウィルスをばらまいたとき、”ともだち”は電話口の相手に「運がよければまた会おう」と言った。復活して公衆の前に姿を現したとき、大感激の人々を前に「バハハーイ」と言った。円卓会議の顔ぶれが何人も変わったとき、粛清されたんだと他人事のように言った。ワクチンは万博の開幕式に参加した人だけに配られ、”ともだち”を信じ切っている多くの人々がウィルスに倒れ、ワクチンを奪い合って死んだ。

 その中にはサークル時代からの信者もいただろう。13番のコンチに対する最初の質問は、「ウィルスは?」だった。彼がもしワクチンを打っているなら、怖がる必要はないはずである。共にいても癒されないことはすでに明らかなのだ。13番はあろうことか、この「なりすまし」の二代目に加担して救世主に仕立て上げてしまった。


 コンチに向かって”ともだち”に悪いことをしたと言っていたのは、かつて彼が信じたほうの”ともだち”すなわち2015年に亡くなった「あの方」ことフクベエが作った(と13番が信じている)”ともだち”の輪から彼が抜け出してしまったことを意味するのではなかろうか。ここまでは、ある程度、筋が通るかな。いつもながら強引だけれど。

 だが最後の「たぶん...」の続きが分からない。13番には心当たりがあるのだ。それも有望な容疑者が。万丈目は「誰なんだ」と茫然自失の体だったが、13番は何かを知っている。これから残りを丁寧に読むが、おそらく誰のことを言っているのかも、なぜ13番がその人物を知っているのかも分かるまい。


 ともあれ、田村マサオは高校まで友達がいなかったとコンチに語っているし、あの時あの人に会うまではとも言っているので、ある意味でサダキヨと境遇が似ている。かつて青少年時代の私も、数か月間かのことだが、友達がまったくいない時期というのを二回ほど経験していて、その辛さが何年も十何年も続くというのは想像を絶する。そんな奴を鋭く探し出して、甘言を弄し心を操るのが上手いというのが、「あの方」の正体だったのだ。

 さて、コンチは「放送室」に戻る途上、なんと彼のラジオ局から黒煙が上がっているのを見た。高いアンテナが倒れて道をふさぐ。コンチの驚きの表情がムンクの叫びに似ている。さらに、どうやら地球防衛軍らしき連中が、「あいつがDJだ。拘束しろ。殺しても構わん」などと物騒なことを叫びながら、こちらに向かってくる。13番と長話をしていたおかげで命拾いしたのだ。コンチはもと来た道を車で引き換えし、白いソナタに向かう。



(この稿おわり)




まことに僭越ながら、ファン・ゴッホ正岡子規と私には共通点がある。
花を写すのが大好きなのだ。
(2013年3月24日の撮影)




































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