おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

かくれんぼ (20世紀少年 第690回)

 このブログで何度も私は、いたずらに昭和時代を懐かしむ風潮に文句を言ってきた。確かにいろんな意味で良い時代であったと思うけれども、嫌なことも多くてそこから目をそむけたまま、昔はよかった今はひどいでは、若い人にきわめて無礼であろう。こういう時代にした責任は、言うまでもなく歳が上であるほど重い。

 そんなわけで私は昭和という言葉には何のノスタルジーも感じないが、でも子供時代を懐かしく思う気持ちはとても強い。一言一句まで正確に覚えているわけではないのだが、水上勉は子供と老人は仲が良い、なぜなら彼らはともに社会から疎外されているからだという趣旨のことを書いていたのを覚えている。これはこれで味わいのある表現だけれど、なんだかしんみりしてしまうので、もう少し勇ましいものも挙げよう。


 一つは、すでに書いたことがあるかもしれない。ニーチェ、「男の成熟。それは子供のころ遊戯に示したあの情熱を再び取り戻すことである」。正直言って、取り戻す自信がありません。もう一丁、アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」より、「シュルレアリスムにのめりこむ精神は、自分の幼年時代の最良の部分を、昂揚とともに再び生きる」。

 ブルトンの文章をもう少し岩波文庫から引用しよう。「幼年時代やその他あれこれの思い出からは、どこか買い占められていない感じ、したがって道をはずれているという感じがあふれてくるが、私はそれこそが世にも豊かなものだと考えている。『真の人生』にいちばん近いものは、たぶん幼年時代である。幼年時代をすぎてしまうと、人間は自分の通行証のほかに、せいぜい幾枚かの優待券をしか自由に使えなくなる」。


 どこか買い占められていない感じ。これは「20世紀少年」の少年時代の躍動感あふれる描写からも随所に湧き出している。第21集第2話の「かくれんぼ」は久々に小学生のケンヂたちがでてくる。かくれんぼをやっているのだ。じゃんけんぽんよ、あいこでしょ。神社の境内にあるドラム缶のようなものに隠れていたヨシツネが、「鬼」のケンヂに見つかっている。

 ヨシツネのコメントがよろしい。「は〜、やっと見つかった。ケンヂ、おまえ探すのヘタだな〜」。これに対し既に見つかっていたオッチョは、変なところに隠れるなとヨシツネに文句を言っている。マルオとケロヨンもようやく終わったと安堵している。もう夕暮れで腹も減ったのだ。だが、ケンヂは「もう一人、見つかってねえ」と珍しく記憶力の良いところを見せて走り出した...。

 
 前にも書いたが、私の子供のころ大勢でやる遊びといえば缶ケリであって、かくれんぼではなかった。かくれんぼは、いったん鬼に見つかってしまうと、こうして最後まで無遠慮に頑張る奴が見つかるまで、手持無沙汰で待っていないといけないのだ。その点、缶ケリは一発逆転で戦場に復帰できるチャンスが残されている。このあたり、かくれんぼは獲った駒を使わないチェスに似ており、缶ケリは相手の駒を獲って使える将棋と似ていなくもない。

 先日うちの新聞に載っていた話。私が生まれた前後、大山康晴とともに将棋界の二大巨頭であった升田幸三は、将棋は獲った駒を使うとは捕虜虐待のゲームであると難癖をつけてきたGHQに乗り込んでいき、取った駒を殺したままのチェスのほうが遥かに残虐であると論破して、強引で不当な占領政策から日本の将棋界を守り抜いた云々。


 ともだち歴3年、銘菓「白のソナタ」のオフィスで3年間もかくれんぼをしていた男は、訪ねてきたコンチと思わぬことで言い争いになった。おまえが”ともだち”の友達だなんて、そんなこと信じられるかと叫んでいる。初対面の相手にむかって、というかまだ対面すらしていない相手にむかって、こういう口のききかたはないだろう。

 そりゃあ確かに、多くのDJのしゃべり方は、人によっては軽薄な感じがするかもしれない。だが、ポップスのファンにとっては、あれで普通なのであり、それに職業に貴賤はないのだ。

 もっとも、このあとの展開からして、13番は今の”ともだち”への信仰心が揺らいでいる様子である。大げさな言い方をすれば、彼は人格が崩壊しないように、実際はコンチ相手ではなく自分自身に言い聞かせるように”ともだち”の有りがたさを強調しているのかもしれない。


 ここまで来てコンチもようやく相手の言うともだちが、あの”ともだち”であることに気付いた。「あの、まやかしだらけの”ともだち”のことか?」と怒鳴っている。ケンヂたちの運命を知っていたか、知らなくても内藤先輩やサナエと同じく、”ともだち”の胡散臭さを感じ取っていたのだ。13番は部屋の中で、おまえごときが真理を見せてくださった”ともだち”を語るなと応酬している。

 話にならない。「ずっとその中にいりゃいい」とコンチは言った。俺のラジオでも聴いてろと言えば、相手は聴くもんかと殆ど子供の喧嘩である。去り際にコンチは言った。「いつまでもそこに隠れてろ。見つけてくれるよ、本当の友達ならな」と。そう、遠い昔のかくれんぼで、鬼役のケンヂが最後の最後に彼を見つけてくれたように。



(この稿おわり)





代々木の国立競技場の遠景。アベベも円谷もここを走った。
(2013年4月6日撮影)

































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