おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

本当の真実 (20世紀少年 第506回)

 第16集の前半部分も終わりに近づいている。ドンキーが理科室の窓から飛び降り、山根が「馬鹿な奴だね、奇跡を信じないなんて」と言っている。私はこの夜の山根の心境が今一つ分からない。当人は2015年の理科室での秘密会議において、彼はフクベエに対し、自分は調子を合わせていただけであり、「君が嘘つき」だと知っていたと述べた。

 その割に、第14集といい第16集といい、山根の表情を見る限り、彼は素朴に奇跡を信じているようにもみえる。「そろそろ下におろして...」と言ったあとでフクベエの「仕掛け」が外れたときも、「どうしたの、”ともだち”...?」と無邪気な感じである。まあ、今となっては、どうでも良いことなのだが。


 では、もう一人の立会人、ナショナルキッドのお面男はどうか。彼はトリックを疑っている。前回、この少年はサダキヨではないだろうと書いた。追加の根拠を挙げれば、明日は始業式という夜中に、遠くで暮らしているはずのサダキヨがここに居るというのも不自然である。

 この少年は、おそらく第14集でヴァーチャル・アトラクションに入ってきて、フクベエの脚を引っ張りながら「お前はここで死ぬんだ」と言い、万丈目に「これが真実だ」と言った「ともだちマスク」の男と同一人物であろう。これが「真実」であることを知っているのは、目撃者か、フクベエまたは山根に当夜の真相を聞いたかのいずれかであろう。私は前者を採る。


 さて、フクベエの「仕掛け」とは何か。分かりません。分からないが推測すれば、仕掛けがはずれたがためにロープが首に食い込んで死にかけている様子だから、ロープと喉の間に、透明の小道具でもはさんでおいたのではなかろうか。そうしなければ、そもそも話すこともできないはずだ。

 「ミシ...」という音がしているので、天井で何か起きたかなと思っていたのだが、天井で何が起きても急に窒息することはあるまい。そして、「しまった。死ぬ。」という危機に瀕したフクベエが、このあとどうなったのか描かれていないが、山根とナショナルキッドに助けられて、やっぱりトリックだったというのが露見したのだろう。1971年の嘘の完結である。


 かくして、「かれはいちどしんでまたよみがえるだろう」という予言の実現は先延ばしになった。2015年になって、二人がかりで自作自演をするまで。「嘘つき」に気付いた山根が、その後も調子を合わせ続けたのは、ビールスとワクチンの夢が余ほど彼にとって魅力的だったのだろう。

 これに続く第7話「ともだち暦」の冒頭4ページは、薄墨で描かれており、画風がその前後と大きく異なる。詳しくは次回以降に考えるが、その後に出てくる”ともだち”兼”世界大統領”が、「すべて過去の記憶のはずだ...」と言っているので、この部分は誰かの「記憶」なのだろう。


 逆に言うと、この薄墨の部分だけが誰かの記憶だと考えたい。記憶というのは、何度か書いてきたけれど実に曖昧なもので、昔の日記や写真を取り出して見てみれば分かるが、われわれの記憶は失われたり変化したりで、なかなか事実の原型をとどめてくれない。

 第16集の冒頭にある虹の場面から、第6話の夜の理科室までは遠い過去の話だけれど、誰かの記憶であるとしたら、フクベエが”ともだち”になった発端の出来事の信用度が落ちてしまうので困る。ここまでは(物語上の)歴史的事実として受け止めます。では、第7話の最初の4ページは誰のどういう記憶なのか、これは取扱いに慎重を要すると思っているので次回、じっくり考えます。



(この稿おわり)





わが家の掛け軸 (2012年10月7日撮影)



















































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