おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

人類、粘り勝ち (20世紀少年 第684回)

 また筋と関係のない話から始めるのだが、この下書きを書いている週末の前日、用事があって東京都世田谷区の京王線芦花公園駅まで出かけた。大雨が降っている。一時間ほど早く着いてしまい、しかも腹が減っている。駅前から甲州街道に延びる商店街で食事をすることにした。日が暮れてどこからかカレーのにおいがしており、見れば街のカレー屋さんであった。ポーク・カレーを美味しくいただきました。

 食後に隣の小さな本屋さんで新書を2冊買ったら、昨今の都会では珍しくも丁寧に紙のカバーをかけてくれて、雨の日だからとビニール袋にも入れてくれた。ここ東京では、特に都心よりも離れた区内で、意外と多くの商店街が現役でがんばっている。彼らの宿敵である大型量販店やショッピング・モールは全国規模で小売店を廃業に追い込みつつあるが、東京は幸いそんな広い土地がないので、広大な店舗用地のみならず駐車場も必要とする商業資本は手が出せないのだ。


 商店街の小さな店では、どうしても品ぞろえが薄いし、薄利多売にも限度があるので同じ商品でも大規模店舗より少し値が高い。それでも私はできるだけ、こういう店で買うようにしている。ほとんどの店は古い。二代前、三代前の昔から、ご近所に売って売られて一緒に暮らしている寄り合い所帯。一見客の私がカレーを食べている間にちょっとむせたところ、おばさんがとんできて水をついでくれた。

 実家のある静岡では、私が幼かったころ実家の近隣に点在していた小さな店は壊滅した。親戚の店などがあった古くからの商店街の幾つかでも、駅前の一部をのぞきシャッターがおりたままの店がたくさん並ぶ。お世話になった床屋さんも、おでん屋さん(黒はんぺんと筋肉のおでん。夏の間だけ、かき氷屋さんになる)も、受験勉強中に一休みして自動販売機でビールを買って立ち飲みしていた酒屋さんも消えた。


 せめてこの東京で私が生きている間は商店街が繁盛するように、これからも小さな店を贔屓にするんだ。遠藤酒店がコンビニにならないように。さてと、第20集の204ページ目、もう一人のナショナル・キッドを見たことを電撃的に思い出した元遠藤酒店主のキリコは、「じゃあ、あの子は誰?」と叫んだとたんに、これまで以上に激しくせき込んで床に倒れこんでしまった。

 ケロヨンは実験が失敗したと判断し、「だめだ。いま助けますから」と声をかけたが、キリコは「待って」とこれを制し、「今、何時?」とサザンのように訊いた。マルオとケロヨンが壁の時計を見上げたところ、針は7時10分を指している。カエル帝国は朝を迎えた。一日前、マルオが食べていたソバは朝飯だったのだ。「おソバ、打って」と疲れ果てたキリコから注文が届く。


 「24時間たったわ」とキリコは床に伏せたまま言った。「人類の勝ち...」。山根の進化型ウィルスに抗するワクチンの効果は、開発者が文字どおり身をもって証明した。しかも、もう一人のコがなぜかナショナル・キッドのお面をつけていたという証言まで出できた。まさに人類の勝ちの始まりでなくて何であろうか。これで第20集の終わりである。

 このブログは今年中に最後まで書いて一区切りつけたいと思っている。なぜなら来年は2014年になってしまい、漫画では近未来の設定になっているショーグンの脱獄で始まる年に、現実の時間が追い付いてしまうのだ。別にだからといって地球がどうにかなるものでもないが、私が何となく落ち着かないだけです。だが、まだ4巻ある。間に合うだろうか...。




(この稿おわり)





商店街のカレー屋さん。ツギハギだらけの看板だけれど、ボロは着てても心は錦。
(2013年4月6日、芦花公園駅前にて撮影)





































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