おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ユキジの記憶 (20世紀少年 第728回)

 木造りの塀が並ぶ道を一人歩くは少女時代のユキジ。第21集の185ページ目。背後に物音を聞いた彼女が振り返ると、血相かえてドンキーが走って来る。どうしたのと尋ねるユキジに、ドンキーはおっとり刀で引っさげてきたきた旗竿を預け、「これ、原っぱに持ってきて」と頼んだ。一刻も早く原っぱに行かなければならないのだ。

 理由を訊く間もなく裸足のドンキーの後ろ姿が遠ざかる。なんせ自転車並みの速さだ。ユキジが言われた通り原っぱに行ってみたら、そこは戦場であった。基地は基地である以上、いつの日か敵襲は避けられないのだ。双子の片方にケンヂとマルオ、もう一方にドンキーとオッチョが組み付いているのだが劣勢である。

 肉弾戦は体重差が物を言うのだが、普通の子二人あわせてもヤン坊マー坊より軽いのだろうか。これ持ってきたけど、どうするのと訊くユキジ。羽交い絞めにされながらもドンキーはヨシツネに「泣いてないで、あれを立てろ」と厳命した。


 ヨシツネだけは戦わずに泣いていたらしい。ドンキー並みに鼻水まで垂らして、それでもヨシツネはユキジから竹竿を受け取った。「ここは俺たちの場所だ」とドンキー。「降ろすな、立てろ、ヨシツネ」とケンヂ。戦場に立つ旗は特別の意味を持つ。宇宙飛行士が月面に立てた数十年前、星条旗硫黄島にも立てられてしまった。戊申戦争で連隊旗を奪われた乃木は生涯これを恥とした。

 ユキジの記憶によれば、その旗は何度も倒されてボロボロになってしまったという。しかし、ヨシツネは何度倒されても、そのたび立てようとした。のちに秘密基地閉鎖のセレモニーにおいて、ドンキーは旗を作ったと言って持参しているが、このカンカラに入れたほうはもっと大きいようだし新品だろうから、このときの旗とは別物だろう。でもそれはここで問題ではない。ユキジは思い出話に花を咲かせているのではない。もう一度、立てろと言っているのだ。ヨシツネ隊長に。白旗を。


 ヤン坊マー坊のイジメは卑怯で酷いものだったが、この一戦に限れば二人は堂々と戦っているし、立派な喧嘩であり文句なしの子供の遊びである。近年、学校や職場におけるイジメの問題が議論を読んでいるが、先日ある雑誌か新聞でこんな記事を読んだ。

 今の日本は大人から子供まで不安と不幸感に苛まれながら暮らしている。誰でも自分よりみじめな人間を見ると少しは救われるという小さな悪が私たちの中にある。いなければ作ればよい...。


 イジメが頻発する背景には、こういう暗い心情が働いているのではないかという意見であった。全く救われない考えだが、イジメ多発の一因をあぶり出しているように思えてならぬ。

 職場のパワー・ハラスメントでも学校のいじめでも、傍観者は「自分がいじめられると嫌だから黙っていた」という。嘘ではなかろう。しかしながら、それに加えて彼らも「自分よりみじめな人間」を潜在意識のどこかで求めているとしたら、この問題は容易に解決しない。


 こんな陰鬱な話題を持ち出さざるを得ないのも、「20世紀少年」の終盤はイジメの問題がメイン・テーマの一つであるからだ。もう一つが万引きだ。どちらも、われわれが小僧のことからあった。私の解釈では、われらがしでかしてきた無数の悪戯のうちでは平凡なものにすぎなかったように思う。私が知らないだけかもしらないが、人が死ぬような結果を招くものではなかった。それが今、社会を揺るがす問題になっている。

 この話は追い追い考える。今日は何とか気持ちよく終わろう。ユキジは「ケンカの決着はどうなったかおぼえていないけど」と言う。作者も描いていないので、これは読者が勝手に考えて良いという許可であろう。旗が倒されて終わるのでは面白くない。

 思うにヤン坊マー坊は敗退したに違いない。多勢に無勢ということもあったかもしれないが、ドンキーは旗だけではなく史上最強の女子を連れてきてしまったのだ。お互い服さえ着ていればユキジは無敵である。この場では男共の顔を立てて、しらんぷりのユキジであった。




(この稿おわり)







ご近所さん。「坂の上の雲」にも出てくる。
(2013年5月19日撮影)


































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