おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

サークル活動 (20世紀少年 第659回)

 ケロヨンの次はキリコの昔話だ。第20集の第5話は「人類の勝負」。心ならずも人類の代表になってしまったキリコが、夫だか元夫だか偽物だかよく分からない相手との勝負に出る章です。最初の絵は2000年12月31日の夜。ケロヨンが熱海行きの急行に乗るべく急いでいたころ、キリコは夫の居場所を訪問している。

 らせん階段に長髪が腰かけている。ここはどこなのだろう。キリコは「彼に会わせて」と長髪を見上げながら切実な表情で話しかけているから、彼女は彼がここに居るはずだと考えている。かなり立派な内装であるが、友民党の施設かな。キリコはなぜか、彼らが今にも人類に何かをしようとしているのに気付いている。羽田空港や「のろし」はまだ局地的な爆破テロだけだ。


 しかし手遅れであった。長髪は得意のヘラヘラ笑いで相手にしようとせず、キリコの「人類に何をするつもりなの」という質問を復唱して喜んでいる。そして臨時ニュースが始まった。正体不明の巨大ロボットが千代田区から新宿方面へ移動中。液体を噴霧しているという。「血の大みそかの始まりだ」と長髪は宣言した。

 次の場面はキリコがラットで実験をしているシーンである。第5話の各場面は時系列で並んでいないので、いつごろのことかよく分からないが、キリコの口元にかすかな皺が見えるので、2000年よりも後だろう。山根から資料を取り上げたあとのことか。キリコの瞳は済んでいるが、表情は非常に厳しい。実験室の様子からして、彼女は孤独な作業に専念している。


 次はスヤスヤと寝ている生後間もない感じのカンナの絵で始まる。キリコは母の笑みを浮かべて赤子をみている。近寄ってきた男は足元しか見えないが、「なんて可愛い女の子なんだ。」と声をかけた。そして「僕は絶対、この子を守るよ。人類が絶滅しても、この子だけは」などと語っている。男の顔は見えないが、キリコが「まあ、頼もしいパパね」と言っているからフクベエなのだろう。

 キリコが感激しているパパの「人類が絶滅しても」は、父の愛や親の責任感があふれ出たような感激の言葉ではない。男の心意気を表したものでもない。ただ単に今後の予定を語っているだけだ。しかし、おそらくキリコはこのとき、フクベエの言葉にある意味で真実を感じ取り、のちにフクベエなら娘に手を出さないと断言するに至る。だと思う。


 次のコマからキリコの人生が暗転する。「サークル?」といぶかしげなキリコ。隣は家政婦さんか。もう視線もしっかりしてきたカンナを抱いて「行ってらっしゃいませ」と言っているが、心なしか笑顔が友民党風である。虫の知らせでもあったのか、キリコは夫のあとを追って、いつも出かけるサークルって何なのと訊いた。

 相手は別に大したことじゃないとはぐらかし、「ちょっとした友達の集まりだよ」と言っただけで出て行った。これは嘘ではないとしても、しかしサークル活動とは何かという一般的な説明に過ぎず、当然キリコは釈然としない。だから追いかけてしまったのだ。


 ここでは出がけにフクベエが言い遺した「君が作った例のワクチン」が、厚生省のお役所仕事で認可が遅れているというセリフが興味深い。鳴浜病院で完成したものだろうか? ワクチンを申請しているということは、すでにウィルスによる被害が出ているということだ。既にアフリカかどこかで流行が始まっていたということか。

 ケンヂが姉ちゃんの部屋で見つけたワープロ打ちの手紙によれば、二人は「同じ計画」を持っていたとされており、この時点ではその計画に基づいた同じ事業をしている様子である。表向き、夫は妻にワクチン開発の技術的部分を任せ、自分は許認可の事務仕事などしていたらしい。


 厚生省と労働省が統合されて厚生労働省になったのは21世紀初頭、2001年のことである。昔も今も新薬の認可に時間がかかることで名高い。慎重なのは良いことだけれど、私は子供のころは抗がん剤を使えなかったのだ。

 キリコのワクチンは2000年の大みそかになっても認可されていなかったようで(開発者が行方不明では仕方がないか)、生産はタイで行われ、ロボットが歩き始めてから首相の超法規的措置により輸入された。これが実際にとても良く効くワクチンであったため、”ともだち”のお手柄になってしまったという意味では間に合ってしまったのであった。



(この稿おわり)




ヤマさんの家と少し似ている。警備室がある。ここは三権の長の公邸で、表札もない。総理大臣でもなく、衆議院議長でもなく...。場所は秘密。 


















































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