今日で666回目である。この数字は新約聖書「ヨハネの黙示録」に登場し、「獣の数字」と書かれている。黙示録は全体に難解というか不可解で、666の章もさっぱり意味が分からないが、雰囲気的にあまり縁起の良い数字ではないようだ。それに一方で獣の数字と言いながら、他方で人間の数字だとも読める。ヨハネの福音書は普通の文章だが、黙示録を書いたときは何か悩み事でもあったのではないかと思われる。
フランシス・コッポラの大作「地獄の黙示録」は直訳すると「現代の黙示録」であり、個人的には直訳のほうが良い。主役のマーロン・ブランドが不気味そのもので印象が強いが、音楽の使い方も実に上手く(音楽担当はコッポラ監督の親爺さんで、ニコラス・ケイジの祖父でもある)、ロバート・デュバルが森にナパーム弾を放つ場面でワグナーの「ワルキューレ」、そしてジム・モリソンが暗い声で歌う「The End」。
ずっと前にも触れたがエロイムのダミアン吉田の芸名は、映画「オーメン」に登場する悪魔の子ダミアンから採られたはずで、ダミアンには頭に666という痣がある。ちなみに、映画でダミアンの父親を演じたのは何をやらせても大根役者のグレゴリー・ペックであり、世界一の引き立て役として「ローマの休日」や「渚にて」など多くの名作を残した。
前座噺が長いな。第20集の101ページ目、ワクチンが効かなかったらどうなるんだと心配するマルオに、「私は全身から血を吹き出して死ぬわ」とキリコは静かに答えている。あのー、この二人にそれを見せるのでしょうか?
それに続いてキリコは、ウィルスとワクチンの研究データ、そして”ともだち”に関する知る限りの事実を資料にまとめ、全てそのデスクの上にあると伝えている。そのデスクはマルオの後ろにあるから、キリコがどうなろうと二人は資料を確保できる。かつて、これと同じように警察のデスクに資料を積み上げたときは相手が悪かったが、今回は商店街の仲間であり弟の親友だから大丈夫だ。
キリコは24時間の根拠を明らかにしていないが、とにかく失敗の場合は24時間以内のいつ発症するか分からないと述べ、ついては何か訊いておきたいことがあれば「今のうちよ」と怖い顔で二人を見据えて、「何でも答えるわ」と約束した。ケロヨンの最初の質問が彼らしくて良い。あんた、なんで一人でそこまでやらなきゃいけないんだ。キリコは無言である。
キリコが「私は15万人を踏みつぶした」との自覚に至る一連の出来事を、ケロヨンは詳しくは聞いていないのかもしれない。一人でロボットに乗り込んでいったケンヂの雄姿も見ていない。遠藤姉弟が背負っている”ともだち”やウィルス兵器の誕生に対する厳しい自責の念はそう簡単に説明できないものだ。
次はマルオの出番。今ごろカンナは母キリコが東村山にいることを知らされているはずだと伝え、せっかく母と娘がお互いの居場所を知ったというのにと嘆く。実はそのあと、とんでもない騒動になっていることをマルオは当然、知らない。これに対してキリコは、おそらくケロヨンの質問に対する返事も兼ねて、「あの子の母親として、やるべきことをしているだけ。あの子もわかってくれるはず」と静かに語った。
さすが親子。カンナももう少しコミュニケーション能力が高くて愛想が良ければ、「あの男の娘として、やるべきことをするだけ。お母さんもわかてくれるはず」と語ったであろう。オッチョとユキジは付き合いが長いから察してくれたのだ。さて、そこまで言ってからキリコは、マルオがカンナの近況を知っていることに気付いた。
急に心配そうな母の表情を浮かべた彼女は、マルオに「カンナは、あの子は元気にしてる?」と尋ねた。マルオはかつてコイズミがヨシツネ隊長に電話口でカンナを形容したのと全く同じ表現を使って、「元気すぎるというか...」と真面目に答えている。キリコは「そう...」と二回繰り返して、ひと安心した様子である。
まさかこのころ爆弾娘が本物の爆弾を抱えて世界大統領に会いに行っていると知っていたら、二人の会話はこんな長閑なものでは済まなかっただろうが、幸いこの時代はケータイもスマホも滅びているようで、お互い最新情報を知らずに済んだ。そのかわり状況が急転直下したため、再会の機会も遠い先に延びてしまう。
(この稿おわり)
こういうツバキもあるのか。...ツバキじゃないのか?
(2013年3月20日撮影)
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