第20集の第3話「カエル鳴く時」は、意外なところで蛙帝国の国旗を見て驚くマルオの姿から始まる。ところが驚くのはまだ早くて、彼はいきなり発砲され、近くの地面に跳弾した。見れば蛙ヘルメットの面長の男が小銃をこちらに向けて構えている。マルオは撃つな、丸腰だと叫んだが二発目が飛んできた。この距離でこの巨体に命中しないということは警告か。それとも下手なのか。
とにかくマルオはカエルが鳴くから帰るという訳にはいかない。そこで相手をこういうふうに説得している。
1) 君らのリーダーとは知り合いだ。おそらくな。
2) 君らのリーダーはそば屋だ。おそらくな。
3) 君らのリーダーと俺は幼なじみだ。おそらく。
ここでも「幼なじみなら入れる」という根拠の薄いロジックが用いられている。もしも相手がケロヨンなら、マルオは本当の幼なじみである。蛙帝国と忍者部隊の時代から2000年に至るまで、同じ商店街で暮し、一緒に遊んだり働いたりしていたのだ。ケロヨンの披露宴でマルオは言いたい放題だったが、幼なじみでなければできない相談である。
警備の男は引き続き銃をマルオに向けつつ、門を開けて施設の中に入れてくれた。リーダーには訪問者に心当たりがあったのだ。マルオの目前に広がっているのは畑である。彼が確認したところ、果たして栽培されているのはソバであった。見るとタオルを首に巻いて農作業をしている男がおり、「コラ、ひとの畑に勝手に入るんじゃねえ」と怒っている。子供のころ私もよく、こう言われました。
畑の中に突っ立ったままのマルオに対して、農場主は畑を踏み荒らすなと繰り返した後、帽子をとって「ったく、あいかわらずでかい図体しやがって」と、ようやく幼なじみらしいことを言った。ケロヨンとマルオはお互いの名を呼んで、ソバ畑の中で向かい合っている。
この物語にはたくさんの再会場面が描かれているが、私は特にこれが好きだな。ここで再会した二人の男は美男子(これも死語か。「びなんし」と発音します)とは言い難いが、でも戦士である。武蔵野台地の深い緑からは、今も東京とは思えないような草木の匂いがする。そして一面に咲くソバの可憐な白い花。
そのころユキジの部屋では、オッチョに「お前は残れ」と言われてヨシツネが怒っている。その理由は、行きは良い良い帰りは怖いで、入れるが戻れる保障はなく、ついてはその後の混乱した世界を統率するのはヨシツネしかいないというもので、これまた恐ろしい重責を押し付けたものだ。新世界大統領のご指名か。オッチョは心優しいので、間違っても足手まといだなどとは言わないのである。
ヨシツネはユキジとカンナを見たが、二人ともオッチョに異論はないらしい。おまえたち、武器は?とヨシツネは訊いた。オッチョはあいにく丸腰だとマルオのように答えている。驚いたことにヨシツネは武器持参でここに来たのであった。みんなどういう結果になるか、概ね分かった上での大議論だったわけだ。長年の付き合いだものな。
ひとり意外な結果に驚いている市原弁護士はユキジに声をかけているが、ユキジは静かに表情を和らげるのみ。「家に帰るまでが遠足だ。絶対に戻ってこいよ。」と留守番を引き受けたヨシツネが語る。そしてまた「僕はリーダーには向いてないんだ」と言って泣いた。今度は誰も笑わない。今度も誰も同意しない。
この先、少年時代の回想シーンを除き、ヨシツネは第22集まで登場しないのだが、同巻における彼は堂々たるリーダー振りであり、これほど自己評価が低い(というよりも間違っている)人物も珍しかろう。今回の遠足には連れて行ってもらえなかったが、オッチョには2回も万博に連れて行ってもらっているのだから許せ。ウィルスの孤児を守るのも立派な仕事だ。
(この稿おわり)
ソバの花。安曇野にて。
で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前をみないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、この子をさっとチャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」
D.J.サリンジャー作 村上春樹訳
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