第19集では自称最悪の男の長話を散々と聞かされたのだが、第20集の第2話はタイトルが「最低の男」とあるように、自称最低の男すなわちケロヨンの昔話で始まる。時は2000年、場所はスナック「ちえこ」。サントリーを飲ますお店である。壁には幾つか額などが飾ってあって、こ洒落た飲み屋だ。
来客はケロヨン一人のようであり、相手をしているのはアケミという女である。全国のあけみさんには大変失礼な話であるが、私が青少年のころ水商売の女といえば名はアケミと相場が決まっていた。小学校の同級生に明美さんという子がいて、彼女は確か裕福な農家の娘であり、目が大きくて色白の可愛い娘さんだったのだが、私は傲慢にも「水商売風の名前で気の毒に」と思っていたのを覚えている。
この発想の出典は不明であるが、母方の祖父が警察を退職してから開業していた東洋医学の診療所で、待合室に置いてあった「いじわるばあさん」の影響があったかもしれない。喧嘩を始めた二人の若い男がいじわるばあさんに唆されてもろ肌脱いだところ、お互いの二の腕に「アケミ命」という刺青があって更なる大ゲンカになったという話。
二人とも字だけではなくてハートのマークにキューピッドのタトゥーもあったので、同じ彫師によるものと考えられる。ともあれ、あけみさんたちの名誉のために補足すれば、ほかに水商売を彷彿させる名というと「しのぶ」とか「なぎさ」とかが思い浮かぶのであるが、いずれも美しい大和ことばの名であり、だからこそ昔の男を魅了したのである。
それと比べて今ではレナちゃんとかマライアさんとか、バタ臭い源氏名が跋扈しており、私は心を痛めている。水商売だからどうでもいいといえばそれまでだが、問題は現実の世の中である。数年前、同業者から聞いたところによるとお客さんの従業員が生まれた娘に「海」と書いて「マリン」と読ませる名を付けた。
これはまだ良いほうなのだ。なぜなら海とマリンは殆ど同じような意味だし、特に海で泳いだり魚釣りをしたりするのが好きな私にとってはイメージも悪くない。しかし今やニュースなど観ていると、そもそも漢字だけ見ても何と読むか分からず、読み方が分かっても意味不明という名が当たり前になっている。
これは近年の流行ではなく、1990年代の半ばに妹の家で姪のクラスの緊急連絡網を見せてもらった時、すでに半分以上の名前が読めなかった。今の親はこうなのよと妹は言っていたから、この風潮は私の世代が始めたのではないかと思う。もはや手遅れであろう。ときどき名刺交換した女性の名が「子」で終わっていると、それだけで強い親近感を感じる。
かくいう私の名の「匡」もなかなか読んでもらえない。電話で漢字を説明するにも毎回、苦労が伴う。この字は矯正の「矯」と音読みも意味も同じで「正す」であるらしい。この漫画を読んで以来、自分の人生が不調であるときはコイズミ的に「凶」だなと思うことがある。
ケロヨンはカウンターでウィスキーをロックで飲みながら、「やっぱりこれからはグローバリズムだよな」とアケミに語っている。アメリカ制覇の夢はこのころから暖めていたのであろうか。スティグリッツが「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」という天地が咆哮するようなタイトルの本を出したのは2年後の2002年。
したがって、ケロヨンもまだその正体を知らず、このため「グローバリズムなフランチャイズよ」などと意味不明な威張り方をしている。アケミもアケミで「グローブリズム」と聴き取り、「globe」のコムロと混同して更に話をややこしくしている。2歳年上の先輩が小室哲也と同級生だったと言っていたから、私やケロヨンとほぼ同年代だ。
アケミにケロちゃんと呼ばれてむかついているケロヨンだが、すぐに相好を崩して「正月ワイハにでも行くか」と口説いている。ワイハなんて言葉は聞いたことがなかったのだが、わが「はてなキーワード」に、ちゃんと「(特に芸能業界で)ハワイを指す隠語。」と載っているのであった。キーワードなのか?
商談というのか猥談というのか、とにかく話は成立したらしい。ケロヨンとアケミは正月にワイハ旅行に行くことになったようだ。ケロヨンは長袖のセーターを着ているから、もう涼しいか寒い季節である。アケミの水着姿を拝める正月も目の前だ。だが、その前に大みそかがある。
(この稿おわり)
なぜか地下鉄の茅場町駅には、熱帯魚の水槽がポツンと置かれている。
(2013年3月9日撮影)
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