おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

柔の道の極意 (20世紀少年 第645回)

 厳道館道場で合同練習が始まった。第20集の12ページ目、稽古は激しい。ところが彼らもなぜなのか知らないが合同なので人数が多く、隣の組とぶつかって謝り合っている。そんなとき、久しぶりに館長の試技が始まった。みんなの目が輝いている。しかも、相手はおそらく二番目に強いであろう大垣師範代であった。

 どちらが館長か直ぐには分からないが、顔が描かれていないほうの小柄な人物の三つ編みには見覚えがある。やはりウィルスで死ぬような史上最強の女子ではなかったのだ。ご無沙汰、ユキジ。大垣師範代は「しゃあ」という掛け声をあげながら諸手で威嚇するような攻撃態勢に入るが、館長にとってそれは隙にすぎない。


 ユキジの攻撃は迅速であった。相手の左袖を取り、内股でバランスを崩し、即座に寝技に持ち込んでいる。柔道の寝技にはまったく詳しくないのだが、これは腕拉十字固か? 違っていたら誰かご存じのかた、教えてください。師範代の左腕は完全に極められてしまい、たちまちの脂汗、堪らず彼は畳を二回叩いて降参した。

 この降参の合図を英語で「タップ」と呼ぶことを、私は先に引用した増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で知った。増田さんはまず間違いなく最終章を書くためにこの大長編をものしたのだが、私にとって最も魅力的なのは第21章の「マラカナンスタジアムの戦い」である。


 熱烈なサッカー・ファンなら誰でもその名を聞いたことがあるであろうこのスタジアムにおいて、ワールド・カップの翌年、木村政彦ブラジリアン柔術の英雄、エリオ・グレイシーの挑戦を受けて立った。この試合の勝敗を決する規則には一本も判定もない。相手が落ちる(失神する)か、タップする(降参する)と勝ちという壮絶極まるルールである。

 幸運なことに、この試合の映像を私たちは YouTube で観ることができる。私のようなど素人には一方的な試合展開にしか見えないが、同書によると敗者は腕の骨を二本折られ、酸素吸入を受けながら救急車で病院に担ぎ込まれたのだが、彼は失神も降参もしていない。勝者が審判に自分の勝ちだと告げ、敗者がそれを認めたため、超法規的に勝敗が決したのである。

 この第21章は対決した二人のみならず、登場する全ての男たちの言動が光り輝いている。分厚い本なので通しで読むのは大変だが、格闘技に関心のある方はぜひこの第21章だけでも読んでいただきたい。格闘技に関心のない人は全部読んでほしいです。


 ユキジの試技は一分も要しなかったであろう。終わると師範代は全員に集合をかけた。15ページでようやく彼女の顔が大写しになる。「稽古拝見させていただきました」とユキジは語る。私の記憶では彼女が敬語を使ったのは、常盤荘で漫画家相手に感想を述べて以来のことではないだろうか。続いて、みんな強くなりましたねと嬉しそうに微笑んでいる。ユキジの穏やかな笑顔も珍しい。

 弟子一同は、この高い評価を聞いて大喜びだが、館長は続いて「本日をもって当道場は閉鎖します」と、とんでもないことを言い出した。満場騒然、師範代は静粛にと叫ぶ。静まり返った道場で、ユキジは厳道館の名が祖父の道場から借りたものであること、早くに亡くなった両親代わりに育ててくれた祖父が厳しかったこと、彼の口癖が「強さを持たなければ生きてはゆけない」というフィリップ・マーロウと同じ結論に達していたことなどを語る。


 一人で生きていく強さを身に着ける術を教えてくれた(そのためお嫁に行けないという副作用もあったようだが)祖父の看板に恥じない道場にできるか不安だったとユキジは言う。「今のこんな世の中」でみんなに本当の強さを伝授できるのか、しかしそれは結実し、ユキジは誇りをもってそれを弟子に伝える日が来たのだ。

 木村政彦リオデジャネイロの決戦で見せた腕緘めという技は、その一戦の映像とともにグレイシー一族が誇りと尊敬をもって今日に伝えている。木村はその圧倒的な強さと全人格をもって、柔道の極意をブラジルの地に残したのだ。そして厳道館では、嗚咽する門下生たちに対して、ユキジが「最後の極意を伝授します」と言った。



(この稿おわり)





大洗の民宿にて (2013年2月17日撮影)




     「すさまじきもの 昼ほゆる犬」  枕草子




























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