おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

指名手配 (20世紀少年 第614回)

 第19集の第3話は「スペードの市」というタイトルがついている。この回はほとんどがケンヂと市の会話で終始しており、その合い間に将平君が、本人は不本意だろうが笑いを誘っている。第3話の冒頭では市が歩いていると、人相の悪い連中が見失った誰かを探して走り回っている。

 その誰かとは、どうやら将平君だったようで、ケンヂとふたり取り急ぎ路地裏に隠れている。何にもしていないのに、いきなり連中は将平君に殴り掛かってきたという。こんな町は出ようという彼に、ケンヂは強く冷たくて、「お前だけ引き返せ。俺は東京行くからよ」とにべもない。

 
 市は何でも知っている。昨日あの娘が泣いたかどうかはともかく、ごみ箱の影に隠れているケンヂと将平君に、そこで何やってんだ、出てこいと声をかけた。出て来たのはケンヂ一人であった。将平君の危機を察知したからであろう。後に分かるが市の用事は将平君であって、見慣れぬ顔のケンヂではない。

 だが、市の鋭いナイフに向かって、ケンヂは折れた傘一本で立ち向かっており、自分一人だと譲らない。オッチョがショーグンになるまでに、強き師の下で厳しくも意地悪な修行があったのだが、ケンヂはどうしてこういう風に強くなったのだろう。


 私が歴史に興味を覚えたのは、小学生時代にNHKが放映していた「日本史探訪」という番組で、作家でこれによく出てきたのが海音寺潮五郎司馬遼太郎であった。いま本屋に行って文庫本のコーナーに立つと、司馬さんの本は大行列だが、海音寺さんの本は比べると少ない。もっと読まれてよい作家なのに。

 海音寺潮五郎は鹿児島出身とあって、西郷隆盛に関する書物が断然多く、奥行は深くても司馬遼太郎のような間口の広さがないのでファンの数も限られてしまうのだろうか。海音寺といえば西郷どんという印象がきわめて強いようだが、「西郷と大久保」を読んだときの印象では、薩摩では嫌われ者らしい大久保利通に対して、海音寺さんは決して批判的な書き方などしていない。


 むしろ、最初のあたりは大久保の活躍ぶりが目立つ。そして、そういう風に書いてあったかどうかまで覚えていないのだが、海音寺の大久保は国事であろうと些事であろうと、死を覚悟しつつ事に当たっていたという人物として描かれているというのが私の読後感である。

 もちろん単に死にたがっているのではなくて、命がけで臨まなければ事は為せないと断固、確信した者の姿である。これまでの、そして、これからのケンヂの言動をみるにつけ、なぜか私は海音寺が描く大久保を思い出す。ケンヂがそのような境地に達した経緯は、ほとんど描かれていないが。


 将平君も男であった。「やめろ」と言って立ち上がり、ケンヂではなく自分に用があるのだろうと叫ぶ。なぜか市はクククと薄笑いして、「俺の店」に入んなと二人を誘った。バーらしい。一応、オールバックでベストに蝶ネクタイという標準的な格好のバーテンダーがコップを拭いている。バーテンさんはやることがないときは、ガラス磨きばかりしている。

 市はなぜか毛布のようなものを持ってきて、これでもひっかけてろと将平君に投げ渡した。将平君とケンヂが市の指さす壁をみれば、「逃亡警察官 指名手配」のポスターが貼ってあり、「賞金十万友路」と懸賞金までついている。先ほど、いきなり襲われたのは、この金ほしさだったのだ。


 お尋ね者の蝶野将平は27歳とあるので、ともだち暦3年が西暦でいうと2018年と仮定するならば、チョーさんが亡くなった1997年には5歳か6歳だったということになるか。写真はまともな顔なので、身分証明書あたりから借用したものか。

 第4集の141ページ目に「立派なテロリスト」遠藤健児の指名手配写真が描かれている。二人とも身長175センチで(正確には、ケンヂは175センチぐらい)、二人とも中肉である。「ふん。幼なじみの顔を久しぶりに見るのがこういうポスターとはな」と傍らのオッチョが嬉しそうにしているのは、この時点でまだケンヂはウサギ姿だからだ。

 ケンヂの感想を聴こう。自分の写真については、「ひどい写真だ」と正直に認めている。他方、将平君のポスターについては、賞金十万友路(ニセ手形の倍額か...)に関して動揺する本人を前にして、「安いな、お前」と容赦ないコメントを浴びせている。ケンヂ本人の懸賞金は無料だったのだが。



(この稿おわり)




夜の日比谷公園 (2013年1月25日撮影)


 

 日比谷の公園よりも のぞきやすい茶臼山
 東京よりも大阪のほうが 淡路島に近い

     「好っきやねん」  ミス花子






















































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