どういう経緯だったか忘れたが、イギリス人女性と一緒に映画「摩天楼はバラ色に」を観たことがある。主演はマイケル・J・フォックス。バック・トゥー・ザ・フューチャーの兄ちゃんだ。映画はなかなか面白かったが、筋立ては荒唐無稽であった。「面白かった」では済ませてくれないのが英米人である。
感想を述べよと求められ、楽しかったが荒唐無稽と言おうとして、この荒唐無稽に該当しそうな英語が思い浮かばない。やむなく「far from...」とだけ言って相手の顔を見る。あとは助けてねというサインはこれが一番。彼女も同感だったようで、「reality」と付け足してくれた。「何だかさあ、リアリティーねえわ」とケンヂも言った。
かつて「20世紀少年」が実写晩で映画化されたことについて、ネットで「もともと浦沢漫画はリアルに近いしな」というような趣旨の書き込みを読んだ覚えがある。「リアルに近い」という表現は私の辞書にはないのだが、現実離れしていないということだろうか。多分これは筋立てのことを言っているのではなく、単に顔かたちが現実離れしていないので、実際そうだったが登場人物とそっくりの配役ができるというような意味ではなかったかと思う。
これは確かにそのとおりだと私も思うし、さらに言えば「リアルから遠い」のが多いのも漫画の傾向としてある。かつて特にそれが顕著だったのは少女マンガで、第2集の第5話にユキジが「大嫌い」と語っているとおり、とにかくみんな目がものすごく大きいのであった。顔面積のほとんどを占めている。
こんな顔面が現実の世を闊歩していたら不気味であるが、統計では欧米でも目の大きい女性ほど綺麗と見られるそうだから、こういう漫画や化粧が流行るのだろう。本人には気の毒だが、かつて松島トモ子さんが立て続けにライオンとヒョウに襲われながら生還するという離れ業を演じたとき、彼女の目をひときわ大きく書いたヒトコマ漫画に、「ライオンもヒョウも怖かったのだろう」というのがあって笑った。
瞳の大きな女優と言えば、もう亡くなったがベティ・デイビスの名を挙げずにはいられない。「イヴの全て」しか観ていないけれど。駆け出し時代のマリリン・モンローも出ている。学生時代に「ベティ・デイビスの瞳」という曲がアメリカのヒット・チャートのトップを走り続けて、それまでの最長記録だったビートルズの「ヘイ・ジュード」を追い抜いた。
今でも実家にあるはずなのだが、アメリカのヒット・チャート「キャッシュ・ボックス」の首位に立った曲を50年代から80年代まで一曲ずつ解説している本をLAで買った。その中に「ベティ・デイビスの瞳」も出てくる。これを歌ったキム・カーンズは、今は知らないがその当時、この歌で自分のイメージが固定しないよう歌うのを封印したとインタビューに答えている。
その記事の終わりでキム・カーンズは、「ベティ・デイビスの瞳」がグラミー賞を獲得した夜、彼女の自宅に大きな花束が届いたというエピソードを語っている。送り主は瞳の大きな女優だった。なお、キム・カーンズの清楚な姿とハスキーな歌声は、「We are the World」」でも楽しむことができる。一緒にシンディ・ローパーが歌っているのも嬉しい。
ケンヂによれば長髪の長広舌は、「駅のホームで男を突き落した話までは絵が頭に浮かぶほどリアル」だったのに、残りは失格、まるで現実味がない。ロボットを作ったのは科学者であり、スーツケースは配っただけである。諸星さんの一件を除き、長髪は命令者でもなく立案者でもなく実行犯でもなく、ただの小間使いに過ぎないという論法であろうか。
へらへら笑い続けていた長髪の顔面が蒼白になっている。なんで最初の殺人の話だけリアルなのか教えてやろうかとケンヂは言う。その相手は彼に銃口を向けたままだが、撃たないのは話の続きを聞きたいからだろう。そこに、暴徒が乱入したという凶報が入った。第19集も最終局面を迎える。
(この稿おわり)
栃木県の青空。飛行機が多く飛ぶらしい。
(2013年2月17日撮影)
She's pure as New York snow
She's got Bette Davis eyes
”Bette Davis Eyes” Kim Carnes
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