おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

一日三善 (20世紀少年 第631回)

 今回の下書きは栃木県の益子を訪ねた帰りの電車内で書いている。間もなく二年目を迎える東日本大震災のあと、私は一つの計画を立てた。年に一回、被災地に行くことにした。初年度は以前ここでも書いた南三陸町に滞在し、津波の被害の凄まじさに圧倒されて帰ってきた。二回目の今年度は日数とお金に限りがあったので近場を二か所選びました。

 それが益子と今日これから向かう茨城県大洗町。がんばろう関東ツアーだ。太平洋側の東北三県の地震津波、東電原発事故の被害が突出して甚大だったのは勿論だが、関東地方も少なからずの被害を受けている。益子も釜が壊れたり、文化財が倒壊したり、殆どの店で大半の益子焼が割れた。立ち直りつつある益子の町で、知人が焼いた一輪挿しの花瓶を買いました。


 さて、せっかくの名曲を放火魔退治のため失ってしまい、何とか復旧しようとあれこれコードを試していたケンヂだったが、今度こそ決定的な邪魔が入ってしまった。ジャケット、ベスト、ネクタイという洒落た制服姿、高校生時代と思われる長髪の殺し屋に、すごいすごいと賞賛されたのだ。

 身に覚えがなく不審顏のケンヂに対して、相手は「あなた、一日、三つもいいことをした」と説明を始めている。すなわち、交差点で老女を助けたこと、万引きをやめさせたこと、放火を防いだことが三つのいいことなのだという。この「いい」は漢字で表すと「善い」である。

 
 私が青少年のころ、笹川という人がしきりにテレビのCMに出てきて、本人はもちろん大勢の子供たちとともに 「人類はみな兄弟」とか「一日一善」などと叫んでいたものだ。コマーシャルとはその名のとおり基本的には何かの商品を売るためのものだが、いったい彼は何を売ろうとしていたのか、いまだに不明である。一日一つの善行をやり続けねばならないなど、私にとっては拷問に等しい。

 ケンヂは褒め慣れていない人物のようで、一回りくらい若い生徒に善いことしましたなどと褒められても私なら嫌な奴だと感じると思うが、俺は全然そんなんじゃないと照れながら否定している。しかし若者は、ずっと捜していた正義の味方をやっとで見つけたと一人悦に入っている。なおも否定しようと試みるケンヂの言い分が興味深い。


 実家が酒屋で、万引きなんてしょっちゅうだったという。前半は事実。後半の酒屋で万引きが頻発するというのは、酒屋の知り合いもいないので確かめようがないが、ここでのケンヂは嘘方便を使っているようにはみえない。酒屋には乾き物など小物も売っていることだし、アル中ともなると一升瓶ごと持ち去っても不思議ではないかな。

 おかけでケンヂはガキのころから万引き犯を追いかけて走り回っていたそうで、ついでに言えば大人になっても弁当の万引きをしたホームレスを追いかけて引き離されている。ここまではよい。問題は次の「親父やおふくろが酒一本売って、どれだけ細々とした儲けか知ってるからよ」というケンヂの発言である。これが本心であることを私は疑わない。


 サラリーマン家庭に生まれ育った私と違って、物心ついたときから苦労して働く両親の背中を見ながら育った者でなければ言えない言葉だ。この心が中川先輩たちに伝わったに違いない。働き続ける人の心をケンヂが分かっているなら、酒よりもさらに薄利多売の駄菓子を売るジジババの店の苦労も推し量ることができたはずだ。

 その話はもっと先で語ろう。長髪はギターを目にして万引き話を切り上げたくなったらしく、バンドをやっているのかと問う。これも何かの縁だとケンヂもさすがに評価されて嬉しかったらしく、来週やるライブのチケットを一枚進呈している。日付が二年前の古い券だから行っても入場できなかったおそれがあるが、どのみち相手にその気はなかったのだ。



(この稿おわり)




上: 下館から益子に至る真岡鉄道  (いずれも2013年2月17日撮影)
下: 益子駅前の益子焼の壺








































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