おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

あなたが生きている今日は (20世紀少年 第589回)

 すこし話が前後するのだが、オッチョとカンナが口論しているシーンの少しあと、第5話「みんな集まって」に数ページの風変わりな屋内風景が描かれている。その男は巻頭の「登場少年紹介」に「謎のDJ」と掲載されている人物で、「ラジオでケンヂの歌を流し続ける正体不明の男」とある。45回転のドーナツ盤に針を降ろそうとしている絵から始まる。

 音楽再生用の媒体がレコードであった時代に、ディスク・ジョッキーという言葉ができた。CDもディスクだから問題ないが、そう遠くない将来、ディスク状の音楽用メモリーは消え去るかもしれない。しかし、このDJはCD、カセット、レコードという20世紀的なコピーを大量に準備し、「お待ちかねのこの曲」をかけ続け、リクエストと商品注文を待っている。


 さて、アジトでは「生きているかもしれないって?」という、半ばけんか腰のカンナの質問に対して、「ああ、あいつの歌がラジオから流れている」とオッチョは言った。ただし、彼自身は聴いたことがなく、別のバージョンらしいというサナエからの伝聞情報しか聞かせることができず、そんな話を信じるなんてとカンナの失笑を買っている。

 あいつが生きていたら今のおまえを何というと思うと問い詰めるオッチョ、生きてきたら助けに来てくれるとカンナ、ここまできて両者の交渉は決裂した。死んだんだもん、変な希望なんかいらないと言い張るカンナの説得を諦めたオッチョは、カンナの背中越しに「おい、お前たち」と働く若者たちに声をかけた。


 カンナはやめてよと止めに入っている。オッチョが解散か停戦の命令でもすると思ったのだろう。「彼らは私の命令以外きかない」とカンナは言ったのだが、オッチョの用事は命令ではなく、誰かラジオを持っていないかと質問をしたのであった。論より証拠作戦に転じたのである。

 今やラジオなど何も放送されていない世界だが、世に物好きの種は尽きまじ、ガラクタの中から拾い上げたトランジスタ・ラジオを持っている男がいた。幸い電池は切れておらず、電源が入った。だが、受信状況がよくない。われらの世代の作法に従い、オッチョはラジオをパンパンとたたいている。彼が叩き続けたら直るものも壊れるであろう。


 幸い彼は、こんな地下だから受信できないのかもしれないとすぐに気が付いた。先年、テレビがアナログからデジタルに切り替わった際、新聞か雑誌の記事で読んだところによると、デジタル放送というのは鮮明に映るか、全く映らないかのどちらかで、アナログのように画面が歪んだり、横線が走ったりということはないらしい。遠い昔、NHKが午後4時5分からテレビとラジオの「受信相談」という番組を毎日やっていた時代もあったのだ。

 逆にいえば、アナログなら微弱ながらも電波を感知できるため、ここでオッチョが手にしているような回転式の手動ダイアルでチューンするタイプのラジオでは、不鮮明であってもはるか遠くからキャッチしたナンバーなどが流れてくることがある。オッチョはそうやって然るべき周波数を探したはずだ。


 上は危ないと止めに入るカンナを置き去りにして、オッチョは空が見える場所へと駆け上っていく。言うことを聞かないこの頑固娘のことを「見捨てるな」、「助けてくれ」とそいつに頼みながらオッチョが走る。続いて彼の脳裏に浮かぶのは、「お父さん、今度いつ返ってくるの?」という翔太くんの姿。澄んだ瞳、ヨシツネ模様のTシャツ、父と良く似た眉。

 「俺はこれ以上、愛する人を失ったら、立ち上がることができない」と必死の形相でオッチョは叫ぶ。「歌ってくれ、ケンヂ」という彼の願いは、発信元が遠かったのですぐには届かなかったのか、ラジオは「ピュイーン、ザザー」という雑音を流すばかり。


 膝をつくオッチョに「もういいよ、オッチョおじさん、私が決着つけるから」とカンナは言った。オッチョは呼び止めようとするが、彼女は「さよなら」と言って背を向けて去ろうとした。カンナの影が長くなりかけている。ラジオが良く聞こえたり聞こえなかったりするのは、電波を跳ね返す電離層の状態が時間帯などによって変化するかららしい。

 オッチョは粘った甲斐があったのだ。14年かけて破獄した超人にとって、この程度は粘りでも何でもないか。ラジオが突然、反応した。「地球の上に」、「僕は今」。切れ切れだが、これまでカンナが何度も聴いた歌詞、何度も聴いたメロディー。だが、血の大みそかの一番街商店街の路上ライブ、ビートルズが得意とした一発録音で残されたはずの「ボブ・レノン」には無かったはずの続きが流れた。


 グータララ、スーダララ。「こんなフレーズ、聴いたことない」とカンナは言った。オッチョは目を見張ってラジオを見下ろすばかり。それは、ほんの一瞬だが確かに聴こえたのだ。古いラジオを大切そうに胸に掻き抱いて「ケンヂおじちゃん...」とカンナは泣いた。彼女の心の氷は、このようにして溶けた。

 この場面の直前が、謎のDJの放送風景であり、直後が田辺のばあさんちから出てくるケンヂである。これらの出来事が相互に関連しながら、同時進行していることが分かる構成になっている。オッチョは当面の重責を果たしたが、カンナにはまだやらないといけないことがある。蜂起を心の支えにしている仲間が、今も階下で準備に奔走しているのだ。ケンヂの誕生日を経て、彼らの墓標が立つことになるかどうかの瀬戸際にきている。





寒椿。写真には撮れなかったけれど、メジロが花の蜜を吸いに来ていました。
(2013年1月1日撮影)


 
 
 世界中で定められた どんな記念日より
 あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう
 世界中に立てられてる どんな記念碑なんかより
 あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう

    ”TRAIN-TRAIN” THE BLUES HEARTS








































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