第19集第2話の「どデカいものがやってくる」は、神様の「おい、俺っとこはいつからお前らの隠れ家になったんだよ」というボヤキから始まり、同じく神様による今日のタイトルどおりのセリフで終わる。神様の不機嫌にお構いなく、春波夫さんは「お世話になります」と満面の笑顔である。
彼はマルオとともに、見てはいけないものを見て、知ってはいけないことを知ってしまったアシスタント・プロデューサーの青年をかくまってもらうため、ガッツボウルに連れてきたのだ。マルオが何かあったら地下に逃がしてくださいと頼んでいる。
神様が文句を言うのも仕方がない。すでに春さんたちがこのボウリング場に連れてきたダミアン吉田と小泉響子の二人組は、「ただ飯ばかり食いやがって」という今の世では貴族のような生活ぶりらしい。だがコイズミはボーリングのボールを見ると、バーチャル・アトラクションの悪夢を思い出すそうで、気の毒にボールを見ただけで鳥肌が立つのだ。
「もういや、こんなとこ」と叫ぶコイズミに、神様の「ボウリングのことをガタガタ言う奴は、ガターに落ちて地獄行きだ」という反撃が秀逸である。APの青年はボウリングをやったことがないとつぶやき、コイズミはつまんないよ、こんなのと応じている。神様は「ふん」と鼻を鳴らしてから、春さんとマルオに向き合った。
神様によれば、「どんどん、ほころびが出だしたな」という見立てである。ガッツボウルで彼は、サナエとカツオを迎え、コイズミとダミアンをかくまい、今日もまたAPを迎え入れた。ケンヂの仲間たち以外にまで、伝わると好ましくない情報が漏れ出しているのだ。
「ともだち社会のほころびが...」と春さん、「そんな夢を見たんですか?」とマルオ。しかし、神様はここんとこ夢はとんと見てねえと否定し、どんな終わりが来るか皆目かわらねえと悲観的であり、俺の寿命もこの先、長くねえってことかもしれねえと自嘲気味に笑っている。
その向こうでは、ボウリングを知らないAPのために、コイズミが実技を披露している。「こうやってえ」と構え、「こういう感じぃ?」と投げた。ボウルは幅1メートル6センチ、長さ18.28メートル(出典:第2巻より神様のお言葉)のレーンを滑走し、居並ぶピンをなぎ倒した。驚きの神様。夢と希望を捨てずに長生きした甲斐があったかもしれない。
一投だけでダミアンとAPに褒められているところをみると、コイズミはストライクを決めたのだろう。「いやいやそれほどでもー」と珍しく謙虚なコイズミであった。VAでマネごとしただけだもんと言っているが、ただそれだけでヴァーチャルでも現実世界でも、まさに百発百中である。神様は放っておくわけにはいかない。「もう一度、投げてみろ」とコイズミに命じた。
コイズミは「次、この人だもん」とルールを守ろうとしているのだが、一宿一飯以上の恩義がある相手に、いいからもういっぺん投げろと怒鳴られて迫力負け。「こうやってえ」と構え、さらに「こうやってえ」と助走に入るコイズミの左手の描写が実に良い。
「こう」と投げたボウルは再び遠くでピンを倒した。たぶん全部。神様の耳に歓声が聴こえる。1970年代初頭のブームで何度も聴いた歓声だろうか。思わず彼はコイズミに抱き着いて、「女神だ! おまえはレーンに舞い降りた女神だ」と感動している。一方のコイズミは「どっかで見たことある、このシーン」とデジャヴュに襲われている。
既視感。フランス語でデジャヴュ。CSN&Yのアルバム名では「デジャ・ヴ」。私も高校生のころまで何度も経験した。ここ二十年か三十年は全く来ない。この先、長くないってことか? あれは実に不思議な感覚である。ちょっと気持ちが悪いときが多かった覚えがある。あれはどういうメカニズムで起こるのだろう??
もっとも、コイズミの場合は既視感というより間違いなく本物の記憶であり、第14集のバーチャル・アトラクションで神永社長に抱き着かれたからこそ、鳥肌が立つようになったのだ。神様は「中山律子さんの再来だ。ボウリング・ブームの再来だ」と言って涙まで浮かべている。コイズミは引きつっています。
しかし、マルオに「神様」と声をかけられて、神様は我に返っている。ブーム再来となると、この世は終わらないということなのか。そして、この歓声だが、本当にボウリングのものなのか。くわっと目を見開いて、「何かが来る」と神様は久しぶりに予言した。
神様の「何かどデカいものがやってくる」という大予言は、次のコマに描かれている繁華街のような風景と重なっている。どデカいものはこの展開からして、どうやらそこから来るらしい。
(この稿おわり)
荻窪駅前にて、静かに続くボウリング・ブーム、ここにあり。
(2013年1月9日撮影)
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