つづき。原発の問題を考えるときに、科学的知識(特に物理学)の素養が不可欠だが、文系の私は元々、これに弱い。さらに、東日本大震災以降の学界の様子をながめていると、どうやら放射能分野の物理学も地震学も諸説紛々で、誰が正しいのかさっぱり見当がつかず、もしかしたら誰一人、正しくないのではないかという心配まで湧いて出る。
そうはいっても、避けて通る問題でもないと考えて、先日、放射線関係のセミナーに出て来た。主催者は公的な団体、講師はジャーナリスト、数百人を相手に資料まで配布して語ったのだから、もしも間違っていたら職業人生も危機に瀕するに違いない。科学的に正しいかどうかはともかく、彼が間違いないと確信していることを話していることだけは信じた。
当日、特に印象に残った話題は二つで、一つはメディアの言うことを安易に信じるなという、いわば内部告発である。これについては、興味深いが今日は詳しく触れない。もう一つは、日本におけるセシウム汚染の歴史についてであった。セシウム137は半減期が長く、放出するベータ線は貫通力が弱いので、体内に残留すると困ったことになる。
以下の数字などは、当日の配布資料による。講師のご自宅は北関東で放射線量が比較的、多い地域、いわゆる原発被害のホット・スポット。しかし検査してもご本人の体内のベクレルは検出限界以下であるそうだ。つまり検査結果が出ないほど少ない。
では昔の日本はどうだったか。1964年は東京オリンピックの年で私は3歳か4歳。この年の日本人は、セシウム137の体内汚染度が600ベクレル...。この件は小欄でも何か月か前に話題にした覚えがある。放射能雨。
地下核実験の技術が開発されるまで、国連安全保障理事会という立派な名前のついた組合の常連国は、頻繁に地上で核実験を行って全世界に放射能をばらまいた。”ともだち”と何も変わらない。そのころの粉ミルクは100ベクレル。今では販売禁止レベル。昭和は良かったぜ。
その後、1985年には、めでたく20ベクレルに減った。1987年、チェルノブイリ発の放射線物質が地球を半周ほどして日本にも降り注ぎ、このころ60ベクレルになったそうだが、また減った。それに、体内に摂取されたセシウム137は、人体の自然の排泄作用により、全てが体に残るわけではない。
講師は、だから絶対安全だと言っているのではない。残念ながらここでは長くなるので一例を挙げるにとどめるが、危険水域と言われる被ばく量の100ミリから200ミリ・シーベルトは、癌になるリスクでいうと1.1倍未満であり、嫌煙家が憎悪する副流煙と同程度だそうだ。肥満は1.22倍、喫煙は1.6倍、毎日3合の酒を呑む私のような酒のみも1.6倍。
この水準を恐怖と感じるかどうかは、個人の問題である。居ても立ってもいられないなら引っ越すしかあるまい。そういう過敏な人を私はとても気の毒だと思うが、非難はしない。放射線物質はセシウム137だけではないし、思い切り半減期の短いものも含めると、確かに相当量ベクレルの放射能を我々は体内に取り込み続けており、どんな影響が出るかはっきりしないのだから。
個人的には福島の危険な地帯に戻ってきた地元のご老人たちの気持ちのほうがよく分かる。私もそれなりの年齢になったので、いまさら強引に見知らぬ土地に移住させられるほうが、よほど寿命を縮めるだろうという感覚には共感を覚える。
このように原発の怖さは、放射線の直撃だけではなく、前回も触れたようにチェルノブイリや福島のごとく、長期的に住めなくなるという社会的な影響が甚大である。私はベクレルだのシーベルトだの言われてもピンとこないが、こちらは避難者のみなさんの生活として目に見えるものだから大きなショックを受けている。
フランスの最新型の原子力発電所は、日本のそれと比べて建設費用が40倍もかかると新聞で読んだ。そんなに金がかかる理由は、飛行機が墜落しても壊れないようにするためだそうだ。そう、原発は津波によってのみ破壊されるのではない。飛行機が墜落しても、隕石が落下しても、人間が操作をしくじっても放射線は外に出る。
原発の行く末を決めかねている私でも、さすがに大飯原発の運転再稼働は信じがたい判断と思う。NHKなどの報道によると、大飯の下に活断層があるかどうか、専門家でも意見が真っ二つに分かれているというではないか。それに、国内の原子力の専門機関によって、活断層の定義(正確には、過去、何万年分、調べるべきか)さえ異なると聞いた。これが本当ならこの再稼働は暴挙と呼ばねばならない。
原子力発電を続けたいのであれば、関係者全員がいま本当に真っ先にやらなければならないことは、いまだに手が付けられない状態だという東京電力の福島第一原子力発電所を黙らせることではないのか? まだ事故現場の修復ができておらず、事故の全容も明らかになっていない時点で、安全基準が完成するとは手品のようだな。
私の情報は古く記憶も曖昧だが、何か月か前に確か週刊文春で、爆発で外壁が吹っ飛んだ第1,3,4号機のうち、なぜか1号機は覆いができたが、3号機と4号機は原子炉が雨ざらし陽ざらしのままであり、こういう状態の原子炉は世界中でこの二つだけだとのことだった。飛行機どころか、石を投げても危ないのではないか。
事故発生当時、官房長官をやっていた政治家が、先日、原子力発電所は費用対効果が良いとしていた過去の考えは甘く、事故があった際に要する賠償等の経費も含めて生産性を再検討しなければならないと正直に述べた。つまり、安全神話はやっぱり神話に過ぎなかったことを認めていると受け止めている。
最後に、原発推進派の最大の論拠となっている「原発を止めると電力を安定供給できなくなり、経済発展に深刻な影響をもたらす」というのが、どこまで本当なのかという点について。これも私の頭を悩ませている問題の一つである。先述のとおり反対派は経済への影響について、個人的に恵まれていて鈍感か、そうでなければマクロ経済どころではなくて放射線が怖い人たちということもあって、あまり問題にしないようにみえる。
換言すれば、反対派は原発が怖くて嫌いなのであるが、賛成派は原発が好きなのではなく、体制を維持するために守備固めをしているのだから、話がかみ合うはずがない。それぞれ心理的な動機が全く違う次元にあるので、議論にもなるまい。きっとデモは長く続くだろう。
先週の貧乏話はこの論点に関連する。すでに平均所得は1980年代の水準に逆戻りした。当面これからの日本は恐ろしいことに際限なく人口が減り続けるため、それだけで「人口オーナス」と呼ばれる経済規模の縮小が起きる。もしも、本当に原発を止めたときに経済に多大かつ長期的な悪影響が及ぶならば、所得はさらに下がり失業が増える。
1960年代の田舎の生活水準であっても、私自身は汲み取り式便所以外は何とかなると思っている。便所だって他になければ仕方がない。エアコンがなければ、いつの日か冬を越せずに死ぬだろう。ご先祖も殆どみんなそうだったはずだから文句は言うまい。それに私は休職や失業や借金苦の経験があるので、長期にわたる生活水準の低下にも慣れている。
だが、他の人はどうだろう。家族や親戚や若い友人は、耐えられるだろうか。こんな調子なので、原発に対するスタンスひとつ決められず、ましてや投票の方針も定まらない。ときどき、ひどく厭世的な気分になるが、家計や仕事の現状が隠遁を許さない。その気になれば、何かが決壊するだろうか。
(この稿おわり)
文章と全く関係ない写真だが、車体の色がどんどん個性を失っていく東京の電車の中で、いまも頑張っているのが西武鉄道の各駅停車だ。これに乗って通勤していたこともある。
(2012年11月30日撮影)
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