おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

原発 【前半】 (20世紀少年 第554回)

 去年の夏、震災が発生して数か月後、私は原発をテーマにしたシンポジウムに参加しました。当日の論者は岡本行夫中沢新一田原総一朗の各氏。それぞれの主張には詳しく触れないが、この会場でスクリーンに映し出された資料の一つが、なかなか興味深いものだった。

 横軸は年代で、高度成長期から近年までを五年ごとに区切ってある。グラフは2種類あり、まず棒グラフは日本国内の総発電量の推移を示していた。高度経済成長期に急伸し、その後は漸増、最近はほとんど横ばい。内訳も色分けされていて水力が着実に減り続け、原子力が急激に伸びている。震災直前には周知のとおり約3割に達していた。


 もう一つの折れ線グラフは、同時代の日本人の平均寿命の伸びを示していた。興味深いと感じたのは、両者が示すカーブの曲がり方がそっくり同じだったことである。もちろん、さすがの私も発電能力と寿命の伸びに直接の因果関係があると短絡したりはしない。

 とはいえ、寿命を延ばす要因であるに違いない医学・薬学の進歩、栄養の改善、家事負担の軽減、バリアフリーの普及、交通事故や転落事故などを防ぐ技術の開発などといったものは、科学技術の発展と無縁ではありえず、それが基礎研究から実用化・商品化されるに至るまでの間、膨大な電力を必要とするのも間違いあるまい。原発もそれを支えてきたはず。これも見当はずれではあるまい。

 先週、何回かに分けて貧乏話を書いたが、その中でエアコンを取り上げた。冷暖房完備がどれほど幸せか、私と同年代かそれ以上の世代であれば、少なからずの一般家庭において、お年寄りは癌で時間をかけて死ぬ前に脳卒中か心臓発作で、その多くは極寒の季節、続いては酷暑のころに亡くなっていたのをご記憶だと思う。


 原発賛成派は、前回取り上げた支配者層のほぼ全てに加えて、彼らから注文をもらって生計を立てている電力会社やメーカーの下請け孫請けで働く皆さんや、原子力発電所の現場で働く作業員、彼らに食事や宿や交通手段を提供してきた地元のサービス業の方々も含まれる。

 制御できない放射能なんか、無いほうが良いに決まっている。だが、私は雇用と生活の安定を図るのが直接の課題である仕事をしているので、そう簡単に原発を即時、全廃せよとは言えない。支配者層とは言い難い人たちから大量の失業者と、おそらく自殺者も出る。それに、原発廃棄物処理の技術もやり方も決まっていないうちに、技術者や特殊技能者が散逸したら困るのではないのだろうか?


 原発の推進論とは主に上記のごとく、既得権益を失いたくない支配者層の保身と、生活が懸かっている人たちの切実な思いから成り立っているというのが私の理解である。ジャーナリストの上杉隆氏は事あるごとに自分は原発容認派という妙な自己紹介をしているが(容認とは何だ)、いくら検察や記者クラブを鋭く批判していても、支配者層に敵だと誤解されないようシグナルを送っているのだろう。

 一方で、原発に反対する人々の立場は、賛成者と比べて多種多様であるようにみえる。少数野党や新規政党は、スローガンとして反対しているのであり、もしも一たび支配者になれば今の与党と同じように、カメレオンのごとく環境に染まるだろうと考えている。3年前の政権交代で、私も一つだけ賢くなったのがこの点だな。


 原発があってもなくても困らない人、詳しくは次回語るが、仮に原発が止まって経済に多大な悪影響が出ても、お金があるから気にならない人も、理念として反原発をお唱えになる。小説家とか音楽家に多い。そもそも文化人は、支配者階級を毛嫌いしている人が多いし。

 また、体制に反抗したいという、ただそれだけの理由で反対している人も少なからずいるはずだ。シー・シェパード型と呼んだら怒られるだろうが、暴力を振るうかどうかの違いはあっても、権力に歯向かうのが何よりの楽しみという人も世の中には沢山いるのだ。彼らの生活がどのように成り立っているのか、調べてみると面白そう。


 一番、深刻な反対派は、放射線が健康に与えるダメージに恐怖を覚えている人たちであるに違いない。特に出産年齢にある女の人や、幼い子や孫がいる家庭にとって、幾らこの程度なら大丈夫などと言っても、それが仮に理屈では正しいかもしれないと彼らが思ったとしても、おそらく何の説得力もあるまい。そういう人が私の周囲にも少なからずいる。

 母子保健の問題だけではない。私は魚料理が大好きだが、種類によっては他の食材と比べると放射性物質を蓄積しやすいなどと聞くと穏やかではいられない。それに何より、福島からは約16万人もの人々が故郷を追われ、いつ還れるのか、果たして帰れるのかという心境のまま、1年と数か月が経った今も、よそでの生活を強いられているという事実は重い。かくのごとく、私は板挟みのままなのだ。続きは次回。



(この項おわり)



地下鉄の中から撮った駅の看板。社会人になって初めて働いた職場に、この駅で下車して通った。私にとっての大切な思い出の地に、オウムはサリンを撒いた。この駅の被害も甚大で、4人が亡くなっている。合掌。許せぬ。
(2012年11月24日撮影)

























































.