おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

不調和 (20世紀少年 第484回)

 第15集を話題にしていたころ、EXPO2015のテーマが相変わらず「進歩と調和」であることに対して、それこそ進歩がないと批判した私ですが、考えてみれば”しんよげんの書”に「じんるいのしんぽとちょうわ」が出てくるのだから、仕方がなかったのだ。また、「そして、せかいだいとうりょうがたんじょうするだろう」と続くのだから、ちゃんとやらないと先に進めない。

 なぜ2015年という年を選んだのかも分からないと書いた。今も分からないのだが、外務省のウェブサイトで「過去の万国博覧会」を見ると、面白いことに日本で開催された万博は5の倍数年ばかりで、大阪が1970年、沖縄が75年、筑波が85年、花博が90年、愛知が2005年である。100年前の1915年はサンフランシスコ万博。実際の2015年には、イタリア国ミラノ市で開催予定。


 1970年、小学4年生だった当時、すでに「進歩」という言葉は知っていたのだが、もしかしたら「調和」という言葉は万博のスローガンで初めて知ったかもしれない。万博は要するに科学と文化のお祭りというのが、今も昔も変わらない私のイメージで、それには「進歩」こそ似合うが、「調和」というのは、ちょっと政治的な匂いがする。

 当時の世界は、調和がとれていなかった。新聞の国際欄もテレビの海外報道も、印象としては戦争や暗殺のニュースばかりであった。ベトナム戦争も続いている。しかし日本とて例外ではない。今月(2012年9月)に中国各地で発生したデモの略奪、放火や暴力沙汰などを見て、信じられない思いを人も多かろう。特に、若い世代におかれては。


 でも、私の小学生時代には、日本人の若者が同じことをしていたのである。左翼の学生運動、70年安保のころ。秘密基地があった1969年から1970年にかけて、よど号のハイジャック事件とか、東大安田講堂の陥落とか、内ゲバ殺人とか、毎日のようにテレビで見ていた。

 学生運動は、第12集のヨシツネとユキジの会話に出て来た「あさま山荘事件」以降衰退したものの、成田空港の三里塚闘争で長期化した。ユキジは1997年時点で麻薬犬のハンドラ―を務めているが、彼女や私が就職したころ、三里塚は大混乱だったのだ。もしかしたら、ユキジはその武芸と気性を買われて、三里塚の警備要員として採用されたのかもしれん。いや、戦闘員かもしれん。


 その当時の若者は、機動隊に火炎瓶や石を投げ、教授の頭にペンキを浴びせ(その犠牲者の一人に単位をいただきました)、大学や空港などの公共施設を平気で破壊している。

 大阪万博の反対運動までやったのだ。連中の多くは存命のはずだ。彼らは十数才年下の私たちを「しらけの世代」と呼んで小馬鹿にしていたものだが、中国その他の惨状を見て、どういう感想を抱いているのか、ぜひ伺ってみたいものである。


 大阪万博のテーマ委員会が選んだ「人類の進歩と調和」は、桑原武夫さんらが考案したものらしいが、「調和」は強烈なメッセージだと思う。ちなみに、桑原氏の名を初めて知ったのは、中央公論社の「世界の歴史 フランス革命とナポレオン」である。もう50年も前の本だから、その後、新しい史実や史観が出て来ているのかもしれないが、これからフランス革命について勉強してみたいという人にはお勧めの良著です。


 話はコロコロ変わるが、そのタイトルだけを見て大笑いしてしまい、つい本文を読むのを失念したままという文芸作品が二つあります。一つは井上ひさしの「人間合格」、もう一つは筒井康隆の「日本以外全部沈没」。いずれの題名も解説不要のパロディーだが、これに限らず御両名は作品の命名が上手い。

 筒井康隆が1970年ごろに書いたと思われる短編に、「人類の大不調和」という作品がある。筒井作品は学生のころからの大ファンで、これも話し始めるときりがないので今日はこの作品に話題を絞るが、小説の舞台は大阪万博である。短編なので、ちょっと筋に触れただけで、これから読む人の興を削いでしまうな。


 でも、一言だけお許し願うとしよう。冒頭、万博会場に立ち寄った主人公が見たものは、「ソンミ村館」であった。筒井さんも「人類の進歩と調和」のうち、「調和」に違和感というか、ここまで来ると敵意と呼んでもいいか、それがおそらく執筆の動機、原動力になったと思う。

 昨日ご紹介した「なつかしの未来『大阪万博』という本には、「お祭り広場」のプロデューサーも務めた岡本太郎が1987年にスピーチで語ったという言葉も収録されている。「万博のときに『進歩と調和』というのがテーマだったんだけど、それに私は全く反対だったんですよ。人間は少しも進歩していない。退歩していますよ」。

 その論拠は長くなるので、ここでは大雑把にいうと、テクノロジーは人類を退化させ、世界は廃墟と化すだろうという不気味な予言のようなものだ。それにしても、筒井康隆岡本太郎の二人にそれぞれ進歩と調和を否定されては、大阪万博も形無しだな。少し気の毒になってきたので、次回は子供の視線で万博を見てみます。





(この稿おわり)





今回、お世話になった資料。表紙のごとく本当に「太陽の塔」は目から光線を出していたのだろうか。暑い時期の開催だったため、夜の10時半まで開けていたらしい。近所の人たちは、涼みにきていたそうだ。何だか、うらやましい。
































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