おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

マンハク (20世紀少年 第483回)

 「ぼくのゆめは、ゆめではありません。ほんとうにおきることだから、ゆめではないのです」。こういうふうに第16集の第2話「本当の友達」は始まる。前半はどうみても論理矛盾だが、小学生なんだから、まあ、このくらいは良かろう。

 しかし、その後半には、すでにナルシスティックな「予言の実現」妄想の兆候が見て取れる。関口先生はこの作文をどう読んだのかなあ。スプーン曲げ犯人の捜査で挙手したのも、この少年だったろうと思うのだが。そういえば、関口先生は5年生から卒業時まで3組の担当だったが、4年生のときはどうだったかな? 


 この一節で始まるフクベエの作文は、「4年3組文集”ゆめ”」に収録されているものであり、その概要は、来年の夏休みは大阪の親戚のうちに泊まって、毎日のように万博にいくだろうという宣言であり、ついては、ともだちも、いっしょにつれていってあげようと思いますとつづられている。表面的には、楽しそうであり、優しい心遣いである。

 ケンヂがその文集を持参して、「なあ」と声をかけている。フクベエもケンヂも長袖のセーターを着ているので、時季は1969年の終わりごろだろう。ケンヂ少年は相変らず教室内でも野球帽をかぶっており、相変らず好奇心の塊で、フクベエに「お前が作文で書いたマンハクって何だ?」と訊いて、知らないんだ、ひゃひゃひゃと笑われている。


 さすがのケンヂも気分を害したようで、「じゃいいよ」と言い捨てて立ち去ろうとしたのだが、フクベエは相変わらず鈍感であり、そのまま平然と説明を始めている。マンハクではなくて、バンパク。バンコクハクランカイだから、バンパク。世界各国が日本に来て本当の未来都市を作るという話に、ケンヂは夢中になった。

 そのあと、クラスの中は、フクベエの感覚によれば、パビリオンとか月の石とか、万博の話で持ちきりになったらしい。彼はケンヂが話を広めたことを一応は認めつつ、自分がした話が、みんなの話題をさらっているのが嬉しくて仕方がないようだ。ここまでは、普通に子供が示し得る反応と言ってもよいと思う。


 しかし、この時点で、すでに大阪万博の開幕日まで半年を切っているはずであり、ケンヂが知らなかったのがむしろ不思議であって、もうみんな知っていて当然の時期だと思うのだが、フクベエの感受性や思考回路はそういうふうにできていないらしい。かくて、「万博ばんさい」を心の中で4回繰り返している。万歳は三唱するのが、世の習い、人の常。万歳四唱など聞いたことがないな。

 これが”しんよげん書”の、「ばんぱくばんざい」の二唱に直接、反映されたと考えて間違いないだろう。文集では漢字で「万博」と書いてあったからこそ、ケンヂも読み間違って嘲笑されてしまったのだが、なぜか”しんよげんの書”は、私の記憶にある限り表題の「書」の字と、「二〇一四」という漢数字以外は、全て平仮名で書かれている。


 他方、”よげんの書”には、「バンパクで有名な大阪」が出てくる。第2集から第3集にかけて、秘密基地でケンヂやオッチョ達が”よげんの書”の企画会議をしている場面が飛び飛びで出てくるのだが、大阪を選んだ議論の場面は抜けている。だだし、大阪の事件を伝える新聞を読みながら、ケンヂはユキジに対して「それも俺が考えたことだ」と語った。

 ケンヂはフクベエから説明を受けるまで、万博の内容はもちろん漢字の読み方すら知らなかったのだから、”よげんの書”の「バンパクで有名な大阪」は、その後で書かれたはずだ。ともだちコンサートのステージで、次はどこだったかな?と訊いた”ともだち”は、ケンヂから「大阪...」という回答をもらい、手を打って喜んでいるが、それもそのはず、話の出所は二人の会話だったのだな。


 かつて書いたように、私は10年ほど前に大阪に出張にでかけた際、思いもかけず「太陽の塔」が立っているのを見て驚倒したのだが、そのときの印象で、太陽の塔は万博当時から今に至るまで、あのように周囲に何もない場所に立っていたのだとばかり思い込んでいた。

 ところが、当時の写真や映像を見ると、第15集にニセの塔が出てきた場面と同じように、本物の太陽の塔も孤立していたのではなく、周囲を建築物で囲まれていたのであった。


 先日、古本屋で買った「なつかしき未来『大阪万博』」(創元社大阪大学21世紀懐徳堂編)に収録されている会場図によると、この建物は「シンボルゾーン」と呼ばれる場所の大屋根で、設計は丹下健三である。

 天下の丹下さんとくれば、私が日ごろ見ている建物でいうと、東京都庁や代々木の体育館がある。丹下健三岡本太郎が設計した屋根と塔が、このような配置になっている経緯については、上記「なつかしき未来『大阪万博』」のインタビューにおいて、小松左京が次のように述べている。


 「丹下健三が大屋根を作って、岡本太郎は『なんだこんな近代的な建築物』と言って不釣り合いなぐちゃぐちゃなものをつくってやるということで、大屋根をつき破ったからね。」だそうです。やっぱり、太郎さん、とんでもないお人であった。これに続く小松左京の話は、下ネタがお嫌いなかたは読むのをご遠慮ください。

 「それで、僕は文学青年だった時期もあったから、石原慎太郎の『太陽の季節』みたいやと。あの中に、ペニスで障子を破るシーンがある。そしたら岡本太郎は、『何、太陽? それはいい名だ』と」。それまで、「シンボルタワー」とされていたらしい塔は、かくして「太陽の塔」と命名された。実に良い話である。原典は今の東京都知事の小説だったのだ。



(この稿おわり)




http://park.expo70.or.jp/pdf/map/guidemap_2012.pdf


 独立行政法人日本万国博覧会記念機構のサイトより、現在の「万博記念公園」の地図。勝手に引用したら、まずいかな...。でも、元手は税金だし...。緑地の南側の右寄りに「太陽の塔」が立っている。
 万博当時の地図によると、ソ連館は北の端、アメリカ館は南の端。やっぱり仲が悪かったのだな。フクベエの日記に出てくるバチカンのパビリオンは、さすがの風格、会場ど真ん中にあったらしい。







上野名物 「鈴本演芸場」 (2012年9月10日撮影)




























































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