おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

すり替わりの方法 (20世紀少年 第473回)

 今回は感想文というよりも理屈文です。自分の疑問に、自分で答えようと頑張るつもり。死んだはずのフクベエと、生身の男はいかにして、すり替わったのかという前からの宿題について考える。仮に納得がいく答えが出ても、読書の楽しみが増すわけでもないだろうけれど。

 この変わり身の作業を一人でやるのは無理だろうと前に述べた。単独で実行するならば、警備の隙を突いて遺体を運び出し、絶対に見つからない場所に隠して戻らなければならない。その間に誰かに見つかったら万事休すだし、留守中に空っぽの棺が見つかっても大騒ぎになること間違いなし。


 もう一つ、これも前に書いたが、ヤックンが腕をつかまれてから、万博の開会式にて「復活」するまで、どうやら4日は経過している。さらに、ヤックン事件の日が、すり替わった初日とは限らない。人間は水を全く飲まずにいると、通常、3日程度で絶命する。災難救助で72時間が勝負と言われる所以である。

 3日しか持たないこと自体は小学校のころから知っている。酷暑の時期なら、一日だけでも熱中症が怖いな。だが、それにしても個々の災害において、テレビやラジオやツイッターなどの即時性の高いメディアで、「72時間」を連呼するのは良くない。親しい人を待つ方々に対して、これほど残酷な仕打ちもあるまい。


 さて、では誰が悪事に加担したのか。万丈目ではない。彼はこの先もずっと、フクベエが死んだふりをして生き返ったふりをしたと信じ込んでいる。高須でもない。この時点で、彼女は何が起きているのか理解できていないし、万丈目のような誤解に凝り固まってもいない。敷島教授の娘はどうか。

 第15集の後半、再び円卓の会議が召集された。”ともだち”は、「ずいぶんメンバーが変わったね。”絶交”されたんだ」と平然と言い放っている。まがりなりにも、第13集の円卓会議における13番の発言によれば、フクベエの口癖は「みんな最後まで仲良くやろうよ」だった。いい歳して仲良くやろうというのも気色悪いが、それでもこの新しい”ともだち”の酷薄さと比べれば、まだましであろう。


 会議のメンバーは、みんなうつむいて黙ったままだ。彼らはその”絶交”を履行した当事者か、”絶交”後に出世した者が殆どだろうから、黙り込むほかないのであろう。しかし、そのどちらでもなかったらしい敷島娘は、「ねえ」と言って沈黙を破り、「あんた、誰?」と実に良い質問をしている。在米当時、良い質問をすると「それは、ミリオン・ダラークエスチョンだ」と褒めてみせる米国人の同僚がいた。ひとの質問に値段をつけるなと思う。

 これに対して”ともだち”は、「会ったじゃないか。西麻布の交差点で。」とあっさり答えて黙らせている。やはり、あの顔はわざわざ見せて回ったのだ。そうでなければ、マスクを外してみろという騒ぎになるだろう。この返事を聞いた敷島の驚き方、それから開幕式の高須の狼狽の仕方からして、どうやら二人の女性は、すり替わりに助力していない。両方とも演技だったなら別だが。私には女の嘘が分かるような知恵も観察眼もないのでお手上げ。


 主要人物が関与していたという前提で消去法により候補者をさぐると、残るは長髪の人殺しとヤマさんである。この二人には共通点がある。その話題はまだ先に出てくるので詳しくはそこに譲るが、彼らだけが「”ともだち”は複数いる」ことに気付いていた可能性がある。

 長髪の優男が古くから、”ともだち”の側近とでも言うべき近い位置にいたことは、これまでの経緯でも、これからのエピソードでも明らかであるし、後に関東軍とやらの総帥に出世するとは、何らかの論功行賞があったと考えても不思議でもない。ただし、彼には組織の後ろ盾がなさそうだ。彼一人で手伝うのも大変そうだな。


 その点、ヤマさんは何と言っても警察庁長官。警備の総責任者であったろうし、その組織力でいろんな悪さも可能なはずだ。それに、ずっと後のことになるが、この15集以降の”ともだち”がフクベエではないと断言した取り巻きの幹部は、万丈目とヤマさんの二人だけなのだ。

 そして、ヤマさんは”ともだち”が複数いると書かれた「チョーさんメモ」を持っている。彼はそこまで読まなかったと蝶野刑事に述べてはいるが、それは「21世紀少年」上巻の絵で見る限り、チョーさんを”絶交”した直後の話である。そして、ヤマさんは本人いわく、「チョーさんメモ」を、太陽の塔の中に隠している。ここの鍵は”ともだち”だけが持っていた様子であった。


 すり変わるなら、絶好のタイミングは、”ともだち”の棺を”ともだち”記念堂の弔問会場から、万博の開幕式典会場に移設するときであろう。同じ車なり、同じ棺なり、二つ用意しておいて、どこかで上手いこと入れ替えればよい。私ならそうする。亡骸の後始末も含めて、これが一番、安全かつ確実であろうと思う。まあ、こんなところです、私の結論は。

 「さてと」と、”ともだち”は言った。わざわざ会議の席上に、「しんよげん書」を持ってきたらしい。よほど愛着があるようだな。「”せーるすまん”は現れたし」と確認。「”せいぼのこうりん”は?」と質問。

 出席者の一人が、ミシガンの製薬工場は爆破しましたと報告している。やはり、こいつらの仕業だったのだな。「時間の問題だね」との結論が出た。「すると、いよいよこのページだね」と”ともだち”が言う。「いよいよ」とは相当、楽しみにしてきたのだろう。早く終わりにしたいものです、こういう場面は。




(この稿おわり)





近所に皮のハギレを売っているお店がある。 
この商品の使い道と、命名の所以はよく分からない。
(2012年9月4日撮影)





囲炉裏のある小屋。中越の山村にて。
(2012年8月11日撮影)

































































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