おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

虹の向こうは (20世紀少年 第472回)

 第15集第12話の題名は、「虹のこちら側」となっている。虹にこちら側と向こう側があるのかどうか私は知らないが、ともあれ、この第12話の最後に出てくる虹、そして、次の第16集第1話のタイトルである「虹のつけ根」を意識しての命名なのだろうな。

 「虹の向こうは」と聞いて、それに続く歌詞とメロディーが自然と思い浮かぶ人は、私と同世代か少し年上の方々であろう。その昔、1960年代のアイドルというのは、ケンヂの好みで言えば黛ジュンとか、ジュリーがアイドルとか、ビートルズの映画の邦題でいうと「4人はアイドル」とか、露骨な言い方をすればセックス・シンボル的な要素があったように思う。


 それが変わって「かわいさ」がアイドルの必須要件になったのは、1970年代になって、天地真理が登場してからというのが私の印象である。凄い名前だよな、「てんち」と「しんり」。

 真理ちゃんに始まるアイドルの系譜。山口百恵キャンディーズ、ピンク・レディ、松田聖子、おにゃんこクラブ、ジャニーズの皆さま、モーニング娘。(こういう句点もなんだかなあ)。さて今やAKB48は、おじさん達にも大人気のようだが、いわば半世紀に及ぶ「アイドル時代」にどっぷり浸かってきたのだから、何でもござれなのです。


 ところで、私も海外駐在や数々の怪しげな映画から学んだ経験からして率直に申し上げると、モーニング娘。やAKBグループが着せられている一部のコスチュームは、グローバル・スタンダードからすると、夜の商売の衣装そのものである(本当は、もっと過激な言葉を使うつもりだったが、さすがに当人たちやファンに気の毒で言えない)。

 売り手も程々にすべきだと思います。何てったってアイドルは、小泉今日子によると清く正しく美しく、イメージが大切である。


 第12話「虹のこちら側」は、珍しいことに万丈目の心理描写から始まっている。それがいつまで続いているかというと、最後の「そして地球は滅亡した。」までだと思われるので、第11話はカンナの回想、第12話は万丈目の回想なのだ。彼の思い出話は、こういうふうに始まる。「シナリオを書いているのは私のはずだった」。

 その次との繋がり具合が面白い。「しかし、あの時、いや、あの時より以前に、私も脇役の一人になっていた...」。通常、シナリオを書くのは脚本家であって、主役ではない。どうやら万丈目は自分が脚本家であり、かつ主役であると自負していたらしい。それが、いきなり単なる脇役の一人になればガッカリだ。


 続いて、「今になって言えるのは、あの事件で本当の主役が明らかになったのだ」と万丈目は語る。操り人形だと小馬鹿にしていた相手に、実際は自分が踊らされていたということか。「今になって」とは、「地球が滅亡した」後のことだろう。今、”ともだち”は重傷を負って倒れている。「彼はよみがえり、法王を身を挺して救った」のだ。よくまあこんな悪巧みを考え出したものだ。

 会場を包んでいた静寂は、再び鳴り響いた銃声で破られた。残念ながら描かれていないが、至近距離で13番とルチアーノ神父が銃撃戦を展開したのだろうか。あるいは13番は逃走しただけで、発砲したのは神父だけかもしれない。ヴァチカンの側近は、あわてて法王を現場から連れ出そうとする。仁谷神父はかろうじて法王に近寄り、これは仕組まれたものだと伝えたが、残念ながら法王は「彼に救われた」と信じたまま去った。


 さすがの高須も震えている。「この筋書きは、あなたが?」と傍らの万丈目に問いただしているのだが、万丈目は端的に「違うよ」と答え、二人そろって眼前の気色悪い光景を見下ろしている。左腕で天を指す血まみれの”ともだち”。会場の観客もみな、同じ仕草で応えている。「彼は神になった」のだ。

 一週間後、ともだち記念堂を埋め尽くした数十万人の来訪者の前で、車いす姿の”ともだち”が姿を現し、「完全な復活をとげ、歓喜は頂点に達した」と万丈目は言う。それに続く、「あの時、手を振りながら彼が小さく言った言葉」とは何か。


 まず、「バハハーイ」であった。これは小学生時代に私たちの間でも流行った別れの挨拶である。ただし、私自身は何だか相手をバカにしているように感じて、使わなかったのを覚えている。田舎の子供にだって、そういう感覚はあるのだ。むしろ今の私の方が鈍感かもしれない。なお、この挨拶の仕方、オリジナルはケロヨンである。本物のほうのケロヨン。

 続いて”ともだち”は、こう言った。「このうち、何人の人とまた会えるかな」。多分、万丈目を意識しての発言であろう。主導権がいずこにあるのか、確認したようなものか。防毒マスクのセールスマンが、スーツケースを抱えて現れたのは、私の理解では2015年になってからであり、すなわち、フクベエが死んだ後である。誰の仕業か、言うまでもあるまい。


 何だか、このままで終わると後味が悪すぎるので、食べ物の話題で締めくくろう。去年の今ごろ、私は南三陸町に行った。そのとき私が見たものは、いつか別の機会にきちんと書こうと思っている。宿泊したホテルのご案内により、三陸沖で獲れたサンマを注文して、それが今日(この下書きを書いている週末)、拙宅に届いた。心して頂きます。



(この稿おわり)





南三陸町のサンマ(2012年9月8日撮影)






























































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