おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

神の使いは国際指名手配中 (20世紀少年 第454回)

 ここ3回ほどの小欄の下書きは、新潟県栃尾又温泉で湯治滞在中に書いたものです。この温泉には去年の3月にも参りました。震災の直後のことで、そのころ放射能だ買占めだと東京も荒んだ感じになっていたため、予定通り遠慮なく出かけた。例年より春が遅かったそうで、雪に閉ざされたままであった。

 そういうわけで入浴と食事だけの、のんびりした旅行になったのだが、泊まった温泉宿の休憩室においてあった「20世紀少年」の単行本を読み始めたのが運の尽き。とうとう、このブログを始める羽目になった。ここの温泉は、延々と続く拙文の源泉でもあります。今回の滞在中も、ゆっくり休ませていただきました。


 第15巻の90ページ目、警察の捜査が入ったことを知った仁谷は、さりげなく倉庫のような部屋に入り、雨が降る路地に飛び降りた。着地の姿勢は、2回の理科室から飛び降りたドンキーとほぼ同じ。膝はこのように曲げた方がよいと思う。一度だけ両脚をまっすぐ伸ばして、かかとだけで飛び降りたところ、その衝撃が脚と背骨と脳髄を直撃して、しばらく声も出ないほどの痛みと痺れを招いてしまった。

 体操男子個人総合で、まさに王者の風格で優勝した内村選手の着地方法を分析したテレビ番組を観たことがある。彼の場合、たとえ、ひねり技であろうと、着地の瞬間は両脚が同じ角度と速度、同じタイミングで着地するので乱れないらしい。彼も少し膝を曲げて着地している。

 団体での失敗は着地ではなく、鉄棒とあん馬の落下であった。難易度を下げて落ちなければ、いつでも完璧に近い演技ができるだろう。ところが、こういう冒険者は時に敢えて茨の道を歩むため、なかなか安心して観ている訳にはいかないのだ。そういえば、新宿の教会に舞い降りたオッチョの着地も完璧であった。


 そのころ神父はトラックの中で、「これがクラッチか。固いな」などと悪戦苦闘中である。運転できないのにクラッチをよく知っているな。もう15年ぐらい前に、大きな店でレンタカーを借りる際にマニュアル車はあるかと訊いたが、オートマしかないという返事だった。乗用車しか乗らない人にとって、もはやマニュアルも、いきおいオートマも死語であろう。

 「神が守って下さる」と覚悟を決めた途端、神父が驚いたことに、見知らぬ男が運転席に入ってきて、「早く運転席に移れ」と怒鳴った。早速、神様は願いを叶えたらしい。神父はイタリア語で感謝の言葉を述べたが、相手は日本人で片言の中国語しかできないという。それでも、何とかルチアーノ神父と蝶野刑事よりは、言葉が通じているようだな。


 神父は「あなたはまるで神の使者だ」と感嘆してるが(彼の神のご使者というと、大天使のミカエルやガブリエルのようなものか? 人相が似ているのだろうか)、仁谷は俺には神も仏もねえし、中国まで警察が追いかけてくるとは神も仏も恨むぜと、取りつく島もない。

 以下、神父にはスラングが通じないが、仁谷は日本で「オヤジの仇」をとるという使命のため、「敵の組の頭」をとった。サツに捕まれば日本に強制送還。待ち構えているのは、敵の組の連中だ。したがって、適当なところで降りるぜという。

 神父は多少、後半の事情を察したようで「神はあなたを許されます」と言ったが、仁谷は「あんた、かわりに殺されてくれるのかよ」と怒っている。これには神父も黙った。だが、こうしようと決めたら、そうする人であることが間もなく分かる。


 仁谷というのは本名だろうか。この第15巻では、彼は名乗っていないので分からない。私が学生だったころ、本当にローマ法王の暗殺未遂事件が起きている。時の法王はヨハネス・パウロス2世で、彼はポーランド人だからこれはもちろん本名ではなくラテン語です。空海親鸞も、親からもらった名前ではない。

 警察と暴力団の両方に追われている身の上で、本名のまま新宿という都会のど真ん中に、しかも人の出入りの多い教会を開業するというのは、あまりに危険ではないだろうか。もっとも、彼の教会に救いを求めに来る人々といえばタイや中国のマフィア連中だから、神父に万一のことがあったら、彼らが黙ってはおるまい。

 二人が後にした食堂の男たちの予想は当たっていた。黄河の上流だろうか、行く手に川がある。折からの大雨で増水し、古い橋が今にも流されそうだ。「どうやらこれで珍道中も終わりのようだな」と仁谷は言った。だが神父は、ショーグンのような信念の男であった。



(この稿おわり)



新潟は栃尾又温泉(2012年8月8日撮影)





























































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