おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

Many Rivers to Cross (20世紀少年 第455回)

 以前ここでボブ・マーリーを話題に出しておいて、ジミー・クリフに触れないという手はない。若いころ、ボブ・マーリーが出てくる映画を観てから、まず私はウェイラーズのベスト・アルバム「LEGEND」を買い、続いてレゲエの代表曲をかき集めたようなアルバムも一枚、買った。その中に初めて見るジミー・クリフの名もあった。ボブやボルトと同じく、ジャマイカの出身である。

 そのアルバムにはジミーの歌が2曲入っていて、一つは彼の代表曲である、「The Harder They Come」。もう一つが今回のお題である「Many Rivers to Cross」だが、レゲエ調ではなく、スロー・テンポのオルガンや力強い女声コーラスが入っていてゴスペル風の仕上がりになっている。

 この曲の歌詞は、字面だけを眺める限り、こんな悲観的な歌もそうはなかろうという感じだが、ジミー・クリフの張りのある歌声が、この曲をプライドと意志の歌として聴かせる。「Many Rivers to Cross」と「No Woman No Cry」は、いずれも初めて聴いてから30年も経つが、今もICレコーダーに収録してあり、ときどき聴いています。


 ここにも渡るべき川がある。しかし、神父と仁谷のトラックは、濁流を前にして一旦、停まらざるを得なかった。木製の橋はかなり古そうで歪んでおり、しかも橋桁が奔流に洗われてギシギシと音を立てている。このトラックでは無理だと仁谷は言った。しかし神父は車を降りた。そして、自分が川の中で橋を支えるから、その間に橋を渡ってくれと仁谷に頼む。「バカか」と仁谷はユキジのようなことを言った。

 それから二人による主役の奪い合いが始まる。神父によれば、「隣人の命を守る。それが天の父からの使命なのです」(使命も種類が多いこと)であり、仁谷はもろ肌脱いで刺青もあらわに「とっとと、この面倒事を切り上げようと思ってるだけだ」と言って川に入ろうとする。キリスト者の意志と、極道のプライドの激突は、「私は運転できない」という神父の極めて現実的な判断により勝負が決まった。


 「おいしいワインが村においてあるんです。無事たどり着いたら、二人で一杯やりましょう」と神父は言った。神の血は、ここでも人気である。ぺリン神父の場合、残念ながらルチアーノ神父と白ワインを朝まで飲みかわす機会を失ったが、さあ、この二人はどうなるか。神父は激流の中で橋桁を必死に支え、仁谷のトラックはボロ橋を見事、駆け抜けた。

 しかし、振り向けば神父の姿はない。しばし探し回ったが見つからない。中学生のケンヂがユキジと一緒に観に行こうとした映画「ポセイドン・アドベンチャー」のジーン・ハックマン牧師も、同じように隣人のために命を賭けた。だが、この時点の仁谷はクリスチャンではないし、隣人のつもりもない。容易に受け入れられる事態ではない。


 「何が、神様がお守りくださるだ。あんな立派な男、死なせやがって。何が神様だ」と叫ぶ仁谷の体に、容赦なく冷たい雨が降り注ぐ。だが、これ以上、神父を探す時間余裕はない。一刻を争う事態が、売りさばいたヤクで何人も人間をやめさせ、あの世に行かせた仁谷の、これからの身の振り方を見つめている。

 ワクチンは村に届いた。取り返しのつかない事態になる前に、キリコのワクチンは多くの村人を救ったようだ。朝を迎え、代表して仁谷にお礼の挨拶をしている男は、のちに眼鏡をコンタクトレンズに代えて、ローマの街中で中華料理店を営み、法王御用達になる。


 すぐにはトラックに戻らずに、仁谷は神父がお勤めをしていた小さな小屋に立ち寄っている。表の壁には十字架と裸電球ひとつだけの質素な建物だ。ちゃんとワインのボトルもあった。反対側が透けて見えないから赤かな。仁谷はすっかり葉を落とした木の下に腰をおろし、ワインを見つめながら涙をこぼした。雨が上がり、枝の隙間から陽が差している。

 雲の合い間からも、朝日は大地に何本もの光の筋を落としている。ヤコブの梯子を背に、神父は帰ってきた。顔も手も、痣だらけ泥だらけだな。川に流されて怪我でもしたか、神父は木の枝を杖替わりにして歩いてくる。

 そこから先は描かれていないが、きっと二人は、このあと先ずはウィルスで亡くなった人たちの葬儀を執り行い、それからワインで一杯やって、仁谷は神の道を歩み始めたのだろう。




(この稿おわり)





サン・ピエトロ大聖堂 「ヤコブの梯子」 (2006年、ヴァチカンにて撮影)































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