おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

コンクラーベ (20世紀少年 第695回)

 信心などないくせに妙に宗教に関心のある私は、キリスト教コンクラーベという儀式(かな?)の名前だけは若いころから知ってはいたのだが、まさかこの感想文を書いている最中に、コンクラーベが実際に行われるとは思っておりませんでした。何でも数百年ぶりの生前ご退位だそうだから、関係者もさぞや忙しかったことだろう。今回は一泊二日、5回の選挙で決まったと報道されている。

 新聞報道によると、ローマ法王枢機卿の3分の2の多数決で決めるようになったのが12世紀で、それをコンクラーベという方式で行うようになったのが13世紀。これを導入したのは時の法皇グレゴリウス10世だそうで、なぜならこのお方が選ばれるまで2年9か月もかかってしまったため、枢機卿を拘束して肉体的苦痛を与え、早く選ばせるようにしたのだという。


 どこかの国では政治家自らが「決められない政治からの脱却」などと自白しているので、決まるまで議事堂に閉じ込めて鍵でもかけておけば多少は改善するのではなかろうか。ともあれ当初のコンクラーベは3日で決まらない場合、次の10日間は一日2食に減らされ、そのあとはパンと水とワインだけだったらしい(利光三津夫他著「満場一致と多数決」)。今はさすがに睡眠だけは宿泊所で取れるらしい。ただし、外部との連絡は一切できない。

 ところで、コンクラーベの最後の「べ」は「V音」(ヴィー・サウンド)なので、コンクラーヴェと書いてある文書やサイトもある。子供のころ、のど飴にヴィックスというのがあって、私はこれが読めなかった。幼稚園でも小学校でも、「う」の濁音なんて教わらなかったのだから。最近は増えたような気がする。特に芸術界は気取り屋が多いので、ヴァイオリンとかヴィーナスと言った表記をよく見かける(そうしたいなら、ビオラヴィオラにしましょうね)。


 私の知る限り文部科学省言語学者がV音の表記かくあるべしなどという議論をしている気配はないし、報道もバラバラなのでどちらでも構わない。「20世紀少年」の場合はコンクラーベと書いてあるが、他方、「ヴァーチャル・アトラクション」はインターネット普及期の連載にしては時代を先取りしてバーチャルの設備を取り入れ、ヴァーチャルの表記を使っている。

 ウィルスはラテン語で、その英語の発音をカタカナで真似れば「ヴァイアラス」みたいなものになる。明治維新以降、日本は主に医学はドイツから学んだため、私が子供のころお医者さんはカルテをドイツ語で書いていた。「カルテ」も独語だ。カードやカルタと同じ意味。ウィルスはドイツ語でいうと「ビールス」に聞こえるので、小学4年生の山根は落合君に「ビールス」と言っていたのだ。ワクチンは英語で「ヴァクシン」という感じ。


 かつてオッチョは巨体のせいで地下水路に入れず、代わって使者を務めたカツオが連れてきたのが仁谷神父であった。ところ変わってバチカン(「ヴァチカン」と書いてもOK)では、その仁谷神父が出前用の雨水排水溝に入れず、残念ながら法王との面談をあきらめて小龍の帰りを待った。少年は料理を届け、情報を持ち帰った。パーパは喜んでいたという嬉しい第一報。「それで?」と神父は先を促す。

 シャオロンによると、法王は「私に何かあったとき」の「コンクラ? 難しい言葉」は(イタリア語にも中国にも、根競べという言葉はないだろうから覚ええ難かろう)、操作されているのだという。どうやら陰謀が行われているようで、次の法王は「マニュエル?」であり、その人は”ともだち”の友達であるという。少年には訳が分からいだろうが、仁谷神父には来るコンクラーベで、マニュエル枢機卿が法王に選ばれる見込みであるということがもちろん分かる。


 マニュエル枢機卿が危険人物であることは、調査結果を報告しただけで彼に命を狙われたルチアーノ神父から聴いていたはずである。それだけでも重大事件だが、多数決で法王に選ばれるとしたらバチカンの中枢はすでに”ともだち”の実質的な支配下にあるということだ。今の法王は万博開幕式で悪用され、今度は使い捨てか。

 法王は全てが「ウソ」だったことを悟り、”ともだち”を祝福したのは間違いだっと認めた上で、小龍にCD-ROMを託けた。マニュエル枢機卿の情報が入っているという。かつてオッチョがサナエをねぎらったように、仁谷神父も「よくやった」と少年を片腕で抱きしめた。


 パーパの伝言には追伸があった。シャオロンによると、最後に病床に法王は仁谷神父とあの村を救ったときのように、「私は絶対に死なない。そしてまた、あのうまいワインを...」と言った。この両名がワインを賭けて戦ったら天下無敵であろう。

 仁谷神父が振りさけ見ればバチカンの空は青く、白い雲が浮かんでいる。そういえば、ルチアーノ神父はどうなったのだろう。万博の開幕式で13番を追って以来、消息不明である。よもやバチカンには居られまい。彼の居場所を知っていれば仁谷神父も訪問しただろうし、ローマの街角で腹を空かせて座り込んだりせずに済んだかもしれない。何が幸いするか分からない世の中です。



(この稿おわり)



今年もジャスミンの季節。町中で一斉に咲くのだ。
(2013年4月19日撮影)





























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