おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

法王のあの時 (20世紀少年 第453回)

 第15巻の第5話「2001年の勇気」と第6話「2001年の別れ」は、その名のとおり時代設定は2001年で、舞台は中華人民共和国甘粛省。同省は中国の北西部に位置し、黄河の上流域にある。ただし、その地にあることになっている物語上の地名の青洞鎮、西燕地区、青林峰村は架空の地名らしい(一応ネットで探してみたのだが、中国語サイトは漢字がつながっているので何が何やら)。


 青林峰村は山奥の小さな村で、キリスト教徒が住んでいるらしい。実際に甘粛省には少数民族が多いらしく、きっと、さまざまな宗教が信仰されているのだろう。ここでの主人公の一人である西洋人の神父さんは、どうやらその村が教区であるらしい。その山村からの電話連絡により、神父は血の大みそかに細菌兵器による被害が出たことを知った。


 友民党は、このような奥地の住民まで細菌の犠牲者にしたのか。しかも、神父は中国の友民党事務所とかけ合って、ウィルスを手に入れたと語っているし、彼が車を運転できないにも拘らず、トラックごとワクチンを置き去りにして去ってしまったということは、村ごと見殺しにするつもりだったのか。大都会だけ助けた英雄か。まあ、そんなもんだろう。

 季節はよく分からない。中国の北部の山岳地帯となると、いかにも寒そうな土地だなあ。みんな厚着をしているし木々も枯れているから、まだ21世紀になったばかりで、血の大みそかの影響下にあった冬の一日か。21世紀のはじまり。そして、事実は漫画より奇なりとでもいうべき出来事があった年。


 この年の私は会社勤めであり、新設の部署で中間管理職になったばかりということもあって多忙を極め、深夜残業や休日出勤が常態化していたのだが、夏バテのせいか9月の11日は疲れを覚えて早めに退出した。早めと言っても自宅に着いたのは8時すぎだったと思うが、「平日にしては珍しくニュースが観られるな」と思ってテレビをつけたのを覚えている。

 ワールド・トレード・センターが大火事だ。着替えながら観ていると様子がおかしい。映画やドラマなら出てくるはずの登場人物が現れない。やがて、二機目の旅客機がもう一つのタワーに突っ込んだ。理解できない何かが起きていたのだ。それまで、2001年と言えば、「宇宙の旅」であった。輝ける21世紀開幕の年であるはずだった。現実は混乱に混乱を重ねて今日に至っている。


 さて、神父が雨の中、村の飯屋に駆け込んできたのは、そのトラックの運転手を募るためであった。しかし、食事中の男たちは誰一人、手を挙げてくれない。全身から血が抜け出る病気が流行っている場所なのだから、やむを得ない反応だろう。それに、こちらは言い訳なのか本当なのか分からないが、この大雨では道も通れないという。

 ちなみに、この食堂内で多くの男たちが頭に載せているツバ無しの小さくて平らな帽子は、たぶんウィグルの刺繍帽かと思う。ウィグル族といえば西域の回教(イスラム教の中国名)の人々であると高校の歴史で教わった。そうだとしたら、カトリックの神父さんのお願いも、なかなか通用しないのも仕方がないかな。遠い昔は同じ神様だったけれど。

 なお、最近の日本ではイスラム教というと独裁政権とか原理主義者の自爆テロといった物騒なニュースばかりが目立ち過ぎるように思う。私は仕事の関係でパキスタンバングラデシュに3回ずつ出張したが、一般のムスリムは穏やかで敬虔な、本当に良い人たちであり、これらの地では「酒が飲めない」という深刻な問題以外は、嫌な思い一つしたことがない。今回のオリンピックはラマザンと重なって大変でしたね。


 神父は運転手の採用に失敗した。自ら運転するしかないと心に決めて(無免許運転だが、神は許すであろう)、降りしきる雨の中、車に向かって店を出る。入れ替わりに警察が入ってきた。店主は、うちはまともに商売やっているのだと狼狽している。

 しかし例えば、違法のレバ刺しなどを提供しているといった容疑ならば、ガサ入れの警察官たちは真っ先に調理場に向かうのではないか。しかし、ここでは最初から客を一人ずつ調べろという捜査方針が徹底されている。どうやら、容疑者の捜索なのだ。一人でビールらしきものを飲んでいた仁谷には、店主と違って心当たりがあった。



(この稿おわり)




上: ゾウムシ 下: キリギリス (2012年8月11日撮影)





























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