おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

変な日本人 (20世紀少年 第444回)

 ルチアーノ神父は、持参した本の作者コラーニさんに対して、失礼とは思うがと断りつつ、「おそろしく陳腐な内容」だと酷評した。偽書というものに詳しくないので、受注生産するものなのか、それとも自分の判断で作って売るのか知らないが、本件に限れば前者だったそうで、「大金を積まれたんだよ」とコラーニさんは気にせず答えている。

 内容のひどさについてはコラーニさん自身も、翻訳しながら笑っちゃって筆が震えたと感想を述べている。だが、あんな金額で依頼されれば、どんな本だって作るわなというほど、おいしい話だったらしい。依頼人は「変な日本人」だったという。そしてコラーニさんは、その陳腐な内容の一節を音読している。「2015年で西暦が終わる」。


 ルチアーノ神父は、あまりにくだらない本だったので、熟読していなかったらしく、この部分に覚えはなかったようだが、そのとき同僚の神父さんが語っていたペリン神父からの彼への遺言、「2016年が来たら、朝まで二人で酒を飲み明かそう」という言葉を思い出した。

 ルチアーノ神父は後に出て来る経緯により、ギャングを廃業してペリン神父に師事することになったとき、自分の身体を蝕んでいた酒、ドラッグ、女など全てを死ぬまで絶つと師に誓っていたのだ。それなのに、ぺリン神父が死の間際に遺した言葉は、あまりに不自然、不可思議である。

 ルチアーノ神父は、自分がたどりついた結論を、にわかに信じられない様子である。「ぺリン神父は2016年が本当に来ないと思っていた...その本に書かれていることは実際に起こると思っていた...?」。


 さて、悩んでも仕方のないことに悩むのが、このブログの真価(?)であるが、ルチアーノ神父の推測が正しいとすると、ではなぜ、ぺリン神父は翻訳者が笑っちゃうような内容の本を読んで、2015年で西暦が終わるという部分を信じたのであろうか。この本に関するメモがたくさん残っていたというから、よほど研究しての結論なのか。

 私なりに考えての推論を二つ。(1)その本には、すでに起きた2000年血の大みそかの出来事や、2015年に再びウィルスの猛威が世界中に蔓延したことなどが書かれており、何者かが予言にそって自作自演をしていることを悟った。(2)ぺリン神父は、後に出てくるように「第一発見者は警察官」という死に方をした。そのとき、自分が知ってはならないことを、知ってしまったことを悟った。ブリトニーさんと似ている。


 コラーニさんの話には先がある。その変な日本人は、一人でここにやってきて、自分が書いたという原稿を置いていったのだという。この日本人が誰だったのかは、ついに分からない。また、いつのことなのかも分からない。その日本人は、ラテン語の本物の古文書のように「かっこよく」してほしいと述べ、謝金は幾らでも払うと言った。「かっこよく」か...。子供の遊びのようだな。

 そして、その日本人は続けて「その本は、今に世界中のホテルに置かれる。その本は、世界で史上最大部数の本になる」と言ったらしい。「その男の言っている意味が分かるかね?」とコラーニさんは神父に尋ねた。後に、我が身に危険が迫ったとき、ルチアーノ神父はコラーニさんのいう「意味」を思い出している。「その本が、聖書にとってかわるということさ」。


 欧米には出張や旅行で何度も行ったので、確かに「Holy Bible」がホテルの引出などに置かれているのを何度も見た。日本では「ブッダの教え」なども見かける。しかし、世界中のホテルとは大げさであろう。違う宗教を国教としている国だって沢山あるし、中にはキリスト経やユダヤ教と仲が悪い国も少なくない。

 それに、聖書が史上最大部数かどうか、確かに大変なロング・セラーだし、キリスト教徒はそう信じて疑わないだろうけれど、キリスト教は仏教や儒教ギリシャ哲学より数百年も若いのだ。確証はあるまい。がんばれ、「ONE PIECE」。

 しかし、それはともかく、カトリックの神父さんにとっては、聖書がとってかわられることだけでさえ一大事であるが、イエス生誕より毎年数えてきたらしい西暦が終わるとは、一体どのような事態が待ち受けているのだろうか。ルチアーノ神父はぺリン神父の死を不審に思った。そこでヴァチカンを訪ね、枢機卿に面会した。そして、それが裏目に出ることになる。



(この稿おわり)




ゴマモンガラ(2012年7月12日撮影)





























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