おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ヤックン (20世紀少年 第452回)

 ドンキーを感激させたアームストロング船長が他界した。フクベエが共感したコリンズ飛行士はお元気だろうか。今やアメリカは月を捨てて火星にご執心だが、威張るためには何でもするのがあの国のすごいところです。

 第15巻の74ぺ―目、ともだち記念館の前には、相変わらず弔問客が長蛇の列をなしている。第13巻で万丈目と高須が、いつまで続くんだ、この行列はと呆れていたときから何日か経ったはずなのだが、人々は今日も相変らず「私たちをワクチンからお守り下さい」とお祈りしている。薬師如来か。結局、”ともだち”って、それしかやっていないのだな。


 順番が回ってきた母親が祈りを捧げている間に、ヤックンという名の幼稚園児くらいの男の子が、果敢にも遺体が安置された花束の坂をよじ登った。少年は大志を抱いたのだ。しかし、ともだちマスクに手を触れようとした途端、死んでいるはずの男に腕をつかまれてしまう。警備に連行されながら、ママに「動いたよ、この人」と正確に報告しているのだが相手にされない。

 こんなに大勢いて他の誰も気づかなかったというのも迂闊な話だが、それより死体がこういうふうに動くはずはないので、誰かが何時の間にかフクベエの亡骸と入れ替わったのだ。それがいつなのか、どうやってやったのか、今のところ分からないので、第15巻の終わりあたりで考えるつもり。一人だけで、できる作業ではあるまい。


 76ページ目では、法王庁の特別機らしき飛行機が空を飛んでおり、おそらく前後の関係から、ヤックンの冒険と同じ日のようだ。機内では法王訪日のスケジュール確認が行われている。到着日の3日後に万博の開会式。明日は日本の国会でウィルス撲滅と平和のためのスピーチ(そういえば、ともだち記念館に場所を乗っ取られた国会議事堂は、どこに引っ越したのだろうか)。

 そして現在、日程調整中のシンジュク視察は、明後日の見込み。なお、146ページ目の中谷の報告によれば、万博開催日は新宿視察の「明後日」になっているので、法王の旅程が予定通りに実施されたと仮定すると、到着翌日に国会、その次の日を二日目と数えるとして、二日目に新宿視察、三日目は休みか別件、四日目が万博である。

 なぜまた、こういう面倒なことにこだわるのかというと、ヤックンが”ともだち”のマスクを剥がそうとした(と私は思う。プロレスでは当然の攻撃方法である)その日から数えて、万博の開会式まで4日もあるのだ。このマスクの男は、その間、ずっとここに横たわっていたのか? しかも、ともだち記念館と万博会場の間を移動しなければならない。やはり、一人でこっそりやるのは無理だ。そして、万丈目にすら全く気づかれずにやったことになる。妙である。


 77ページ目の機内で法王が手にしている写真は、彼の手を押し頂く仁谷神父と一緒に写っているスナップ・ショットだ。これと同じ写真は、第5巻の186ページ目にも出てくる。新宿歌舞伎町教会の壁に飾られているもので、蝶野刑事が頬に絆創膏を付けたまま眺めている(カンナの左を食った傷跡がまだ癒えていないのだ)。

 このときの仁谷神父は刑事たちに対して、「あなた方は疑うのがお仕事のようだが、私は信じるのが仕事です。」というコロンボ警部が聞いたら泣いて喜びそうなことを言っているのだが、今や仁谷神父はそういう余裕もなく、信じられない話をオッチョたちから聞かされて窮地に立っている。


 カンナはその神父を教会に訪ねた。チャイポンと王曉鋒は約束を守り、ここで働いてきた神父と女子高生が見ても、歌舞伎町は大変、静かな街になっている。教会のテレビに国会が映る。ちなみに私は観ていてもうんざりするばかりなので、最近は国会中継を観ないことにしている。ニュースだけで充分だ。最後に国会中継を見たのは、2011年の3月11日。経理の作業中に、ここ東京でも強い揺れを感じたので、とっさに近くにあったテレビをつけた。

 そのとき国会は、総理の外国人献金問題で紛糾中だったらしい。地震に驚いた議員たちが、みんなして議事堂の天井を見上げていた姿を覚えている。やがて画像は切り替わり、仙台空港あたりの上空を飛ぶヘリからの中継になった。津波が大地を覆いながら進む。速さも規模も見当がつかない、信じられない映像であった。もう二度と観たくない。


 法王のスピーチが始まる。「これも神の与えたもうた試練なのでしょうか」と法王は自問自答するかのように語る。そして、私たちは克服しなければならないと説く。天は自ら助く者を助く、らしい。自助努力なら沢山してきたが、異教徒でも助けてくれるのだろうか。

 「あの”2000年血の大みそか”のように...そうです、私たちはあの時も乗り越えたではありませんか」という法王の言葉に、仁谷神父が「あの時...」と反応している。心当たりがあるのだ。カンナは少し首をかしげている。「2001年、あの惨劇の中、命をかけて立ち向かったではありませんか。あの時私達は力を合わせて...」。


 物語は2001年の出来事について、あまり詳しく描いていない。前年の大みそかに万丈目が世界中にワクチンを送ると自慢して、新宿に大爆発が起き、年明けは国連の表彰があった程度で、そのあとすぐに舞台は2014年に移る。このため、2001年がどれほどの試練だったのかについては、2015年と比べて情報量が少ない。

 その数少ない例外が、第15巻の第5話、「2001年の勇気」に出てくる。中国で布教中だった或る神父と、中国に国外逃亡していた日本人の極道の物語である。語り部は仁谷神父、聴き手はカンナ。二人にとっては、国会のスピーチよりも大事なお話であった。



(この稿おわり)




入谷の朝顔市で買った団十郎が咲きました。(2012年8月2日撮影)




こちらは、リュウキュウ・アサガオと呼ぶらしい。
(2012年8月4日撮影、いずれも拙宅バルコニーにて、夏は来ぬ)












































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