おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

月 (20世紀少年 第436回)

 前にも書いたのですが、実力伯仲の世界であれば、勝った負けたは時の運だと思っている。高校三年生のとき母校が夏の甲子園に出た。一回戦は辛勝、二回戦は惜敗だった。先日そのときのチームの主将と酒を飲んでいたときに、二回戦は勝てた試合だったなと言ったが、キャプテンは「あの日はあいつらのほうが強かったというだけのことだ」と破顔一笑、さすがというほかない。

 小原も伊調も吉田も凄いが、その勝因を精神力の差とか家族の支援のおかげとかいう報道は、嘘偽りとまでは言わないけれど、少なくとも対戦相手全部の取材をしてからでなければ断言できないはずだと私は思う。インタビューでは、そう言わざるを得ないことを、また、もう一回やったら負けてもおかしくない相手ばかりであることを彼女たちは知っているので、そう強調しているだけだ。

 どんな強豪であっても、勝機は4年に一度しか訪れない。そして、あの日あの時あの場所で、一番強かったに過ぎない。今日はたまたまアメリカのほうが、なでしこジャパンより強かった。偶然であり幸運である。これが世界レベルのスポーツの怖さであり、楽しみでもあると思います。ところで、いつになったら、ウサイン・ボルトの全力疾走を拝めるのか。リレーがあるか...。



 今回は、私も元科学少年の端くれなので、脱線してでも少しは科学的なことを書きたい。日本語の「なぜ」という言葉は、英語でいうと「why」(原因)の意味だけではなく、「how」(手段や仕組み)の意味も持ち合わせていると思う。例えば、なぜ交通事故を起こしたのかというときは、その理由だけではなくて、経過とか事情も問いに含まれているのだ。

 科学は「how」に解答を与えることはできるが、「why」には沈黙することが多い。子供が「なぜ空は青いのか」と訊けば、学者や教師は大気の作用や光の屈折について解説するだろうが、それは「how」の説明のみであって、子供が本当に訊きたいこと、すなわち「なぜ赤や緑ではなくて青なのか」という根源的な「why」の質問には答えられない。


 私の息子は3歳のときにテレビのニュースで戦争の報道を観ながら、「なぜ人は戦争するのか」と訊いてきた。何と答えたか覚えていないが、仮にいま同じ質問を受けても、世界情勢に関する「how」は説明できても、質問の根幹である人間の本性についての「why」には返事できない。4歳になって「人はなぜ死ぬのか」とも訊かれたがDNAの寿命などを説明をしても、この場合は意味がない。

 ドンキーには悪いが、科学はたいていこんな調子なのだ。この私も、誰の答も期待できない「なぜ」を二つ、子供のころから抱えている。偶然かどうか知らないが、いずれも月に関わることだ。一つは、太陽と月の見かけの大きさが、ほとんど同じなのはなぜかという疑問である。たぶん天文学者は、そんなことを考える気もないだろう。


 でも不思議ではないか。太陽はこの地球が回りをまわっているらしい恒星であり、月は地球の周りをまわっていると言われている衛星である。それぞれ、大きさも構成物質も運動も全く異なる。それなのに、地球から見える天体のうちでただ二つ、面積があることを確認できるほど身近な太陽と月が、同じ大きさに見えるというのは、本当に単なる偶然か。

 とにかく結果的に同じ大きさであったが故に、月は単なる日陰者にはならず、人類の思想に「陰と陽」という重要な概念をもらたしたのだと思う。たとえば、イスラム教国など多くの国旗に月が描かれていて、その理由は存じ上げないが、太陽よりも月が大切なのだ。

 ちなみに、日月の見かけの大きさは約5度です。そういう数字だけでは分かりづらいけれど、確認したければ五円玉を手に持って腕を思い切り伸ばし、コインの穴からのぞいてみると分かる。太陽のほうは直接、肉眼で観察すると目玉を火傷するおそれがあるので、先日の金環日食の際に買わされた例の奴でご覧ください。


 なお、地動説は正しいが、天動説は間違いではない。この場合の「天」とは太陽も含めた星や空など全部をひっくるめたものだが、現代の天文学が正しければ、地球のみならず太陽も星々も全て動いている。

 太陽はわれわれを引き連れて銀河系の中心を巡って公転している。その銀河系自身も、どこに向かっているのか知らないが、宇宙全体の膨張にひきづられて動いているらしく、遠い未来にアンドロメダの大星雲と衝突するそうだ。スリーナインも廃線になってしまうな。


 大きさが違うから感覚的に分かりづらいが、太陽と地球も、また、地球と月も、お互い引っ張り合いながら、相手の周りをまわっている。大小の差はあるが、上下関係はない。太陽が中心で、地球がその周りをまわり、月が地球の周りをまわるという太陽系のモデルは、視覚的に受け入れやすく、説明しやすいだけであって、便宜的なものに過ぎない。

 地球の潮汐は、この月と引っ張り合っている関係から生ずる。海の中の生物は、満潮や大潮のときを選んで産卵・受精するものが多いと聞く。われわれの遠いご先祖も海出身のようだし、地球の生態系は仮に月がなかったら、とんでもなく違うものになっていたに違いない。


 さて、もう一つの私の「なぜ」とは、月がいつも同じ面だけ地球に向けているという大問題である。月の公転周期と自転周期が同じという科学的事実によるものだが、簡単にいうと、いつ見てもウサギが餅をついている。裏側は月ロケットからしか見えない。この律義さは地球にはなくて、もし月と同じような運動をしていたら、太陽側は常に超熱帯であり、反対側は暗黒と極低温の世界になるが、幸い昼夜もあるし、季節の移ろいもある。

 では、月から地球はどう動いて見えるか。ドンキーはカンナに「あそこ(月面)から見た地球は、真っ青でやっぱり真ん丸だった」と語っている。彼はアポロ11号の月面着陸をケンヂの家のテレビで観ているので、その日はそれで間違いないなかったのだろうが、ただし正確に言うと、いつも真ん丸なのではない。


 地球から見ても月は昇って沈むし、夜でも地球から月が見えない時間帯もあれば、昼間でも有明の月が見える。こういうふうに、場所と時間によって見えたり見えなかったり、見え方が様々であるのは、月から見ても地球は満ち欠けするからだ。ただし、それはウサギのいる側だけの話で、裏側からは地球はもちろん見えない。

 天体望遠鏡を手離して久しいが、ドンキーが大人になっても自宅で月を見ていたという気分は実によく分かる。専門家が見ても素人が見ても、みなさん口を揃えて月と土星の美しさを讃える。もちろん、天文には他にも楽しみはたくさんあるのだが、月面と、輪が見えるときの土星は、ただ一度の人生、どんな手間をかけてでもご覧いただきたいものである。




(この稿おわり)


ヤドカリさん、見っけ。(2012年7月11日撮影)




ヤドカリさんの海。(同日)






















































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