おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

三日月の輝く夜に (20世紀少年 第417回)

 第14巻の143ページ目、「クカー」と眠っているケンヂ少年の顔をのぞきこんだカンナの眼からこぼれ落ちた涙が、ケンヂの頬に落ちた。風邪熱で熟睡していた少年も目を覚ましてしまう。

 ケンヂに誰だと訊かれて(普通、もう少し驚くと思うが)、カンナは昔懐かしい仕草を見せて「ハーイ」と手を振っているが、最近はあまりこういう挨拶をしなくなったな(第1巻の127ページで、マルオも使っている)。映画などでもおなじみの英語の「hi」からきたのだろう。英語の本来の発音は「ハイ」に近くて「ハ」にアクセントを置く。


 カンナの反応が返事になっていないので、ケンヂは重ねて「誰だ、お姉ちゃん」と寝ぼけ眼で問うているのだが、カンナは動転しており「いつか会う、かな?」と答えるのが精いっぱい。ケンヂは「何だそりゃ。熱で変な夢、みてんのかな」と手のひらで額の体温を測っている。

 夏風邪は意外と辛いものだ。遊びすぎて体力が落ちたか。ケンヂはこのため、モンちゃんの誘いを断ったらしい。仮にケンヂが同行していたら、モンちゃんたちはドンキーの家まで行かなかったかもしれないのだが、そんなこと考えても仕方がない。


 カンナは心の準備もないままにケンヂおじちゃんの少年時代に出くわしてしまったため、気持ちは分かるが、「今はゆっくり寝ているの。今に闘う時が来るから」とは、言うことが支離滅裂でないだろうか。寝だめは、できない。小学生のころ幾ら寝ても、中年になってから闘う原動力にはなるまい。

 「これから、あなたがやることは正しいから」とカンナは言う。彼女は、この6年生の男子時代以後、1997年までのケンヂを知らないので、時間の感覚が妙なことになっている。この点はヴァーチャル・ケンヂのほうが真っ当で、「夏休みの宿題やってないのが、正しいのか」と明日の心配をしているのが可笑しい。

 
 カンナには時間がない。「そしてその時は、約束して、絶対に生き残るのよ」とカンナは言って、少年を抱きしめて出て行った。ケンヂは「約束する、お姉ちゃん」とは言わなかったが、約束は守った。隣室は母となるキリコ姉の部屋であろう。カンナはその前でしばし佇んだ。

 しかし、「行ってきます、母さん」と生まれて初めての挨拶をしたものの、それだけでやはり時間がないと一礼して立ち去った。後にカンナはもう一度、時間がないことを理由にキリコと会う機会を避けている。会いにくいのかな...。時間がないのは、嘘ではないけれども。


 キリコが遠藤酒店の入り口を閉めて学校に向かって走り始めたころ、窓から三日月を見上げたケンヂは、「熱のおかげで、いい夢、見られたあ」と大変うれしそうな笑顔を浮かべて、夏掛けの布団を抱いて寝転がった。私も子供のころからこういう風に、毛布や二つ目の枕を抱いて寝る妙な習性がある。

 先日、新聞を読んでいたら、このように何かを抱いていないと寝付けない人は、何か心理的な問題を抱えているおそれがあると精神科医が言っていたが、実に余計なお世話というものである。全く心理的な問題を抱えていない者がいるとしたら、乳児か重病人か、一部のこういう精神科医ぐらいのものだろう。


 英語には、”Security Blanket"という言葉がある。ちゃんとオクスフォードの英英辞典に載っているし、私も20年以上前の在米時代に聞いて知った言葉だ。出典は(ちょっと大げさか)、「ピーナッツ・ブック」の主役格の一人、ライナスがいつも抱えている安全毛布である。これに守られている気分になって、安心を得ることができるらしい。

 この点、「20世紀少年」の登場人物各位は、あまり物に頼らない人々であり、支えはケンヂの言葉であったり、ロック・ミュージックであったり、師の教えや翔太くんの思い出であったり、白馬の王子様だったりするのだが、お守りというと蝶野刑事のご母堂ぐらいか。むしろ、マスクだの巨大ロボットだの、予言書の書だの景品のバッヂだのと物にこだわったのは、”ともだち”のほうであった。


 ケンヂが見上げた三日月は、暑い季節だし、まだ天高く昇っていないということもあって、輪郭がそれほどシャープではない。同じころ、同じ月を学校の廊下で見つめていたのは、そこにあるはずの星条旗に思いをはせつつ、いつの日かその月面に立ち、俺達の旗を立てる夢を追いかける少年ドンキーの在りし日の姿であった。

 西洋には月の光が狂気を生むという古い信仰があるらしい。花鳥風月を愛する日本人とは相容れない感受性である。狼男も、この一種か。ピンク・フロイドの"The Dark Side of the Moon"は「狂気」と訳されている。そして、「月の光に打たれた」という意味の"moonstruck"という英単語も、「ご乱心の。気がふれた。」という意味です。


 ロサンゼルスにいたときロードショーで観た映画「Moonstruck」は、主演女優の歌手シェールが大熱演でヒットした作品で、私はこれで初めてニコラス・ケイジを観た。日本では「月の輝く夜に」という当たり触りのない題名で公開されている。とても楽しいコメディーで(アメリカのコメディーはなかなか笑えないが、これは笑える)、お勧めの作品なのだが、ただし、ワールド・トレード・センターのツイン・タワーが大きく写っているのが何とも切ない。

 さて、夜の学校のドンキー。後ろから誰か来る気配がするが、彼は相手にしない。そのまま廊下を走り、理科室の標識を確かめてから、ドンキーは入口の扉をガラッと開けた。用事は楽ちんだ。水槽のスイッチを入れるだけ。そうすれば、明日、金魚も生徒も元気に集まって、にぎやかに小学校最後の二学期が始まるはずだ。



(この稿おわり)




近くの幼稚園の送迎バスにて。園児の贈りものか。(2012年7月1日撮影)





こちらは宮古島カニさん(2012年7月8日撮影)




And now, it's only fair that I should let you know
what you should know.
I can't live if living is without you.
I can't live. I can't give anymore.

"Without You" by Harry Nilsson / Mariah Carey