おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

”ともだち”の嘘について (20世紀少年 第408回)

 第14巻の107ページ目。喫茶さんふらんしすこのマスターと談笑する中年の万丈目の後ろで、ソファ席に座り、新聞で顔を隠してコソコソしているのは老年の万丈目であった。会話を盗み聞きしていたようで、金のなる木を見つけたと中年が言った時点で、「やはり、あの日だ」と老年は言った。

 やはり、ということは年上のほうの万丈目は心当たりがあって、この場に来たのである。そして予想が当たった。その予想の内容とは、この日こそ「1971年のあの日」であり、「私の人生が変わった日」でもあり、さらに「この日、”ともだち”の人生も...」で台詞が途切れているが、二人して同じくこの日に変わったのだろう。


 続いて彼は自分が「この日、起きることを知っている」のであり、「だが、これは私が知ってはいけない話じゃなかったのか?」との疑念に至って、新聞紙を持つ手がカタカタと震え始めている。「それを見せつけてどうするつもりなんだ、今夜」とも自問している。「見せつける」の主語は、死んだフクベエか。

 第12巻のユキジを見習って、ちょっともう一回、整理してみましょう。ここまでのところヴァーチャル・アトラクション(VA)には、われわれの知るめ限り二つの「嘘」がある。一つ目は、第11巻第3話のタイトルにもなっている「1970年の嘘」。サダキヨの暴走を恐れた高須が万丈目に、「私たちがあのことを知っているのを”ともだち”が知ってしまう」と警告している場面。


 この嘘は、実際には1970年に起きた首吊り坂の事件が、VAの中では1971年の出来事になっているというもので(これが嘘の全てではないかもしれないが)、第12巻でコイズミの報告によりユキジとヨシツネも西暦の違いに気づいている。おそらく嘘は新聞の日付だけではなく、VAを操作する者すべてに、このステージは1971年だと見せるようにできているに違いない。だが、秘密は漏れるべくして漏れていた。

 二つ目の嘘は、第12巻の199ページ目で山根が”ともだち”に話しかけている箇所において、「隠したい嘘がいっぱいだ。一番隠しておきたいのは'70の嘘? それとも'71のこの理科室での嘘? そうだよな、あれを隠しておきたいんだ、あれを。だから、ドンキーを”絶交”したんだ」という山根のセリフに登場する。


 山根のいう「'70の嘘」は、上述のものと同じであろう。そして、「'71のこの理科室での嘘」の顛末は、これから第14巻と第16巻に出てくる。いずれも、山根の主張によれば”ともだち”がついた嘘であり、指摘を受けたフクベエはそれを否定していない。

 ただし、山根は「'71のこの理科室での嘘」については、「君は嘘をつきそこなった」と言っているから、VA内のこと(第14巻)ではなくて、実際にフクベエ少年がやらかそうとして失敗した「トリック」のこと(第16巻)を嘘と呼んでいるのだろうと思う。山根がこれを知った経緯は後に描かれるが、万丈目がなぜ知っているのかについては、これから考えなくてはならないな。


 さて、万丈目は1970年の嘘を知っての上でVA内に入り、その嘘のままのステージに来たはずだったのが、ガッツボウルが建っていたので混乱した。では、これは、どういう世界になっているのか。それを確認するため、まず喫茶さんふらんしすこに来た。果たして、少なくともここまでは、彼が記憶しているとおりの実際の1971年8月31日だったのだ。

 では、この先はどうなっているのか。この夜の理科室は、実際の過去どおりかもしれないが、しかし別の嘘が待っているかもしれない。喫茶店で万丈目が恐れおののいているのは、何が起きるかを想像しての恐怖ではなく、むしろ何が起こるか分からないという強い不安であろう。

 それに、実際は「知ってはいけないはずのこと」が起きているらしいのだが、故”ともだち”が存命中にそれを「見せつけ」ようとしていたならば(この前提は、しかし結局、間違っていたようだが)、それが何故なのかも万丈目には分からない。しかし、万丈目は”ともだち”の頭の中を調べなければ帰れない。かくて彼は理科室に直行し、操作室のカンナを慌てさせたということだ。


 最後は、まともな話題で終わろう。喫茶店で万丈目が読んでいる新聞に、「あと一人に泣く お粗末 巨人投手陣」という記事が載っている。この頃の読売ジャイアンツ(「巨人」は、単なるあだ名)はめっぽう強く、私が幼稚園に入った年から中学1年生のシーズンまで、9年連続で日本一になった。1971年は、その7年目にあたる。私も含め球団の本拠地以外に住む田舎の少年は、大半が巨人ファンだったのではないか。

 どうして、どんなふうに強かったのかを簡単に説明するのは難しいけれど、最大の理由を証拠も挙げて示せと言われたら、こう答えよう。1960年代から70年代前半にかけて、セントラル・リーグの打撃三冠(首位打者本塁打王打点王)のタイトル・ホルダーのリストをご覧いただくのが一番だ。かくも凄まじく、かくも長きにわたり、長嶋茂雄王貞治の強打は猛威を振るったのであった。



(この稿おわり)




なでしこ(2012年6月26日撮影)