おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

風が吹くとき (20世紀少年 第394回)

 第13巻の176ページは、自動車運転中のポップ老人がカー・ラジオを聴いているシーンです。この報道内容に気になる点があるのだが、それは後日また触れるとして、ニュースの最後、「政府は冷静に対応するよう呼びかけています」と流れて、ポップさんは「冷静にか...」と独り言をいっている。

 そのあと彼は巡査の車を修理して、自宅に戻った。見た感じでは木造二階建か。彼が建てたのかもしれない。広いガレージに老人が乗っていたヴァンが停めてあるが、ここで自動車の修理の仕事もしてきたのだろうか。ヴァンの上にはレッカーらしきものも見える。


 屋内は質素で、どうやら奥様と二人暮らしか。上品なご婦人だが、元気がない感じ。「町はどうでした?」、「ゴーストタウンってやつだな」、「そう」と会話もあまり弾まない。奥様は咳をしている。風邪を引いたみたいと奥さん。明日、病院に言った方がよいとご主人。

 老人はペーターから、病院は満員でその日のうちには診てもらえないという話を聴いているのだが、そんなことをこの場で言うわけにはいかないのだ。奥様は「やっぱり、本当だったのかしら。あの女の人の言ってたこと」と尋ねる。ポップさんは返事ができない。


 「あの女の人」とはキリコのことだが、その話は次回で触れるとして、今回は別の話題を持ち出します。ケンヂの好きなボブ・ディランの初期の代表曲、"Blowing in the Wind"(風に吹かれて)の歌詞はちょっと風変わりである。「どのくらい歩めば、一人前と言ってもらえるのだろう?」という難題が幾つも並んでいるのだが、最後に「友よ、その答えは、風に吹かれている」と、ひとまとめ。

 これでは、友達へのアドバイスにならんのではなかろうか。しかも、原文では、"The answer, my friend, is blowing in the wind.」であり、その答えは単数だから、全ての問いに対し一つの解が用意されているらしい。それが何なのか、できれば本人に訊いてみたいが、教えてくれそうもないな、あの人物は。さて、ここまでは余談そのもの。


 この歌と少し名前が似たアニメーション映画、"When the Wind Blows"(風が吹くとき)が日本で上映されたのは、1980年代の後半である。私はアメリカにいたので、何年か後に録画で観たのだだと思う。今も年配のヒロインの声優を務めた、加藤治子さんの切なげな声が耳に残っている。

 この映画の夫婦は、ポップさんがラジオで聞いたのと同じような大本営発表を疑うことすらせず、戦争が始まったというのに「冷静に」日常生活を続けた。間もなく核兵器が用いられ、世界は破滅への道を歩み始める。私はこのポップさん夫婦の物語が大好きなのだが、この映画と違って、ハッピー・エンドであることを知っているから安心して読めるからです。


 「風が吹くとき」の場合、その「風」に含まれていたのは、致死量の放射線物質だった。映画が日本で評判になったころ、当時の人類はスリーマイル島チェルノブイリも経験していたのだが、核戦争反対の映画としか見なかった。私もそうだった。その挙句が、今のこの有様である。

 この映画の主題歌はデビッド・ボウイが歌っている。こう言っては何だが、彼にしてはとても良い。私にとって彼は、自分がどう見えるか、どう聴かれているかというような自意識が強くて苦手である。だが、この曲に限って言えば、ボウイはいつになく歌い上げてしまったなあという感じで、心がこもっている。いい声だ。

 おそらく「風が吹くとき」の老夫婦の不幸は、残されていたのが、二人きりの老後の生活だけだったことである。行き止まりだったのだ。だが、ポップさん夫妻の場合、このまま何もしないのというのとは違う方法を考える余地があった。それに、政府の発表とは違う情報も得ていた。では、キリコに話を戻そう。



(この稿おわり)




台風一過。風が吹き抜けた後。(2012年6月20日撮影)





So long, child. I'm on my way.
After all, it's done. After all, it's done.
Don't be down. It's all in the past.
Though you may be afraid.


さよなら 坊や また会う日まで
私は行かなくてはならない
ついに、それはなされた ついに、それはなされた
がっかりしないで どんなに怖くても
もう過ぎたことなのだから


 "When the Wind Blow" by David Bowie