おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

老夫婦にワクチンはひとつ (20世紀少年 第395回)

 第13巻の180ページ目。ポップ夫人の回想によれば、去年の最初の雪が降ったころ、夫妻は森の中で行き倒れになっているキリコを見つけて救出したらしい。2014年の初冬か。ちょうどカンナが鳴浜町の病院で、母が残したメモを読んでいたのと同じ頃だろう。目覚めたキリコが最初に漏らした言葉は、「追っ手は...」だった。彼女は追いかけられ、逃げて、力尽きたらしい。

 ベッドの中で上半身を起こしたままの姿で、キリコは「私はアフリカでワクチンの試薬を作りました」と語り始めた。2003年に大福堂で山根と別れてからの彼女の行方は描かれていないが、ある時点で、かつて研修医として働いていたアフリカ大陸に戻ったらしい。そして、何とか10年かけて試薬の段階までたどり着いた。


 そして、スイスの製薬会社に信頼できる人がいたので、試薬を持ち込んで大量生産に移ろうとしたらしい。早くしないと、人類が滅亡するからである。そんな話を夫婦は全く信じようとしていないが仕方あるまい。

 しかし、そのスイスの頼みの綱にさえ、”あの男”の息がかかっていたので彼女は逃げた。残念ながら、どうやら彼女は男に騙されやすい。キリコはこの国境を歩いて越えたのだろうか。スイスとドイツの国境といえば、「大脱走」でスティーブ・マクウィーンがバイクで乗り越えようとした難関だ。

 2014年のことだから、”あの男”とは存命中のフクベエのことだろう。”せいぼがこうりんする”。「”あの男”は私がワクチンをつくるのを見越して、そんなことを言ったのよ」というのがキリコの解釈である。そうだろう。結婚する前も、そうだったのだ。


 ワクチンを”あの男”の手に渡しちゃいけないとキリコは言う。ということは幸い、スイスの裏切り者にワクチンを渡す前に、逃亡したということだ。となると、”ともだち”一派は、ワクチンを確保するよりも前に、2014年の年末にアフリカで山根のウィルスをばら撒き始め、続いて2015年に入ると、世界各国で使い始めたということだ。

 ワクチンがないということは、その分、自衛も難しくなるし、自作自演もできない。この粗雑さは、一体どうしたことだろうか。追って考えます。相変らず、ポップさんには何のことやら分からない話である。血の大みそかは、過去の話になったはずではないか。

 「あんたの言ってる話、まるで子供がつくったおとぎ話みたいだよ」と老人は言った。キリコは、この物語に何度も出てくることになる台詞を吐かねばならなかった。「そう、子供が作った話ですもの...」。その話は弟が作って、夫が悪用して、散々な人生ですもの。


 彼女が回復に何日を要したかは分からない。もしかしたら、翌朝にはキリコは先を急いで慌ただしく出かけたのかもしれない。木立の向こうに朝日が昇っている。ハイマートリヒトの夜明け。ドイツ語で「Heimat」(ハイマート)は故郷、「Licht」(リヒト)は光を意味する。

 「ありがとう、これ、お礼になるか分からないけれど...」と言って、キリコは1本のワクチンを差し出した。「まだ完全かどうか分からないし、副作用も...」というレベルのものだが貴重品である。「一本しかお渡しできないけれど、何かあったら使ってください」とキリコは言い残した。


 普通、予防接種というのは「何かあった後で」ではなく、「何かある前に」打つものだ。それにキリコは、なぜ一本しか渡さなかったのだろう。ともだち暦元年、人々は数少ないワクチンを巡って、ときには殺し合い、あるいは魂を売ってスパイになり、地獄の沙汰を繰り広げるすることになる。

 老夫婦は命の恩人なのだから、できることならキリコも二人分のワクチンを置いて行きたかったに違いない。こう考えてみたこともある。2本しか持っていなかった。もう1本は試薬の完成と大量生産に不可欠なのである。

 もっとも2015年、キリコはミシガンの工場にたどり着く前に、ニューメキシコでダニーにワクチンを接種している。まさか、プラセボではあるまい。ドイツとアメリカと、2つの出来事の間に、キリコはワクチンの試薬を増産する機会があったのか。悩んでも答えは出ないので、そういうことにしておこう。


 キリコは「ただし誰の手にも渡さないで」と念を押した。自分たちはいいのかと訊くポップさんに、あなた方は信じますと応えて、キリコは雪の中を歩いて去った。この二人なら怪しげな相手に渡したりしないだろう。奪い合い殺し合ったりもしないだろう。そして、そのワクチンは使われることなく、食器棚のような場所に置かれたまま、今日、この時を迎えたのだ。

 化学や薬学の実験においては、他のものと紛れないように、氏名・日付・通し番号を書いておかなければならない。このワクチンには「EK-41 2014.12.14」というラベルが貼ってある。エンドウ・キリコ、ワクチン41号、2014年12月14日製造であろう。ちなみに、同じ番号のワクチンが第15巻にも出て来ます。遅くともミシガンでは、同じ試薬の培養、大量生産ができたのだ。

 
 老夫婦はお互い譲り合ったまま、これを打たずに年を越した。そして、奥様はいま咳をしている。キリコは、何かあったら使ってくれと言っていた。どちらかに症状が出たら打ってくれということか。あるいは手遅れだから、もう一人が打ってくれということか。決断は素人の当事者に任されている。

 ポップ老人は精神の貴族である。さすがニーチェを生んだ国だ。食事をしながら「おまえ、打てよ」と伴侶に言った。「ううん、あなたが打って」と奥様は答えた。ポップ氏は沈黙を以て結論を出す。こうして最後まで一緒に暮らせる相手さえいるなら、人生、悪くない。


 食事を終えて、二人はそれぞれの寝床に就いた。咳をしながら、奥様は「彼女の言うとおり、このまま世界は滅びるのかしら」と尋ねた。滅びるわけがない、と夫婦の意見は一致した。ポップさんは「そうだ、ペーターに会ったんだ。明日、あの子に打ってやろう」と言った。奥様も、それがいいと同意して、二人はおやすみの挨拶を交わす。電燈が消える。

 実際に、ペーターに打ったかどうかまでは描かれていない。打てば打ったで場合によっては、ダニーと同じように、全滅した町にペーターが一人で取り残されるかもしれない。その先どうなるかは彼の運しだいだ。これでアメリカとドイツでの寸劇は終わり、物語は日本に戻る。



(この稿おわり)




紫陽花は台風ごときには、めげない(2012年6月20日撮影)




近所のスイス料理店にて(2012年6月24日撮影)