おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

ベルリンの壁 (20世紀少年 第393回)

 もはや歴史の用語になってしまったが、冷戦という言葉が嫌いである。アメリカとソ連、加えて西欧諸国や中国が、西側の資本主義陣営と東側の共産主義陣営に分かれ、しかしながら戦火を交えることなく対立を続けたから「冷たい戦争」と呼ぶらしいが要するに白人が死ななかっただけである。

 世界中の途上国では、国内で西と東に分かれ、それぞれ先進国の外交や諜報活動に翻弄されながら、武器弾薬や軍資金の援助を受けつつ同じ国民同士で殺し合った。プロクシー・ファイト、代理戦争と呼ばれる。誰か被害者を数えてくれないものか。ナチス・ドイツが殺した数より多いかもしれない。


 朝鮮戦争ベトナム戦争と同じようなことが、中南米でもアフリカでもアジアでも、たくさん起きている。私が駐在したカンボジアも然り。主だった戦場を知りたければ、「パイナップルARMY」でジェド豪士の戦歴を調べてみるのが手っ取り早いです。

 東西冷戦構造が厳然としてあったことは事実である。かつて私は自分が死ぬまで、また死んでからも、この国際情勢は変わらないと無邪気に信じていた。ところが自分の二十代が終わらんとしつつあった1980年代の終盤、日本人がバブル景気に浮かれている最中に、いきなり、と言っても良いくらいの勢いで、ソビエト連邦ベルリンの壁が崩壊した。

 今でも信じられないくらいだなー。当時の私は、まだインターネットや電子メールはもちろん、NHKの衛星放送すらない時代にサンフランシスコで働いていたため、アメリカのテレビのニュースで、これらの報道に接した。「ドイツ人も、あんなに嬉しそうな顔をすることがあるんだ」という妙な感想を抱いたのを覚えている。


 さて、第13巻の176ページ、買い物帰りのポップさんがヴァンを走らせていたところ、道端にパトカーが停まっており、巡査が途方に暮れている様子である。「ポップさん、ちょうどいいとこに来てくれた。車がエンコしちまって」と巡査は言った。辞書によるとエンコとは、子供の座り方を示す古くからの表現で、比喩的に、故障で車が動かなくなることを、昔はこう言った。

 どうやらポップさんは、自動車の整備工らしい。しかし、「電気系統でなきゃ、なんとかするよ」、未来カーはお手上げだと言っている。私も地元の自動車修理工のお爺さんと話をしたことがある。コンピュータは直せないので、やむなく最近、廃業したとのことだった。IT関連は技術の系統も異なるし、さらに全く別の修理道具一式を揃えなくてはならず、それが無理なんだということだった。


 ポップさんが車を点検している間に、巡査が語るところによると、州境まで行ったが封鎖されていて、出入りできない状態らしい。ここは陸の孤島。巡査は自宅が隣町にあり、女房と子供はあっちに居る、まさかこのまま二度と会えないなんてこと...と言って涙を浮かべている。これに対してポップ老人が語る内容を聴いて初めて、私たちは作者がドイツを被災地の一つに選んだ訳を知る。

 「この国は前世紀もそんなことがあった。家族をはなればなれにするような壁があった。でも、そんなものはいつか壊れる。人間、そんなに馬鹿じゃない」。


 間に合うことを祈ろう。前世紀のドイツでは待ちきれずに多くの犠牲者が出た。フィクションの世界でも、例えば「パイナップルARMY」では反対側に住む娘を一目見ようと西側から東ベルリンを目指す男の悲しい話が出てくる。「サイボーグ009」。004はベルリンの壁を強行突破しようとして、恋人を射殺され、瀕死の彼はサイボーグ手術を受けた。

 ヨーロッパのどこかの国の諺に「知恵のない老人は、それだけで人生の失敗だ」という手厳しいものがあると聞いたことがある。しかし、「グラン・トリノ」のクリント・イーストウッドも、ハイマートリヒトのポップさんも、申し分なく知恵の豊かな老人であった。「エンジンかけてみてくれ」とポップさんは言った。未来カーのエンジンはうなりを上げた。




(この稿おわり)



ドイツでは一般人も自分で自宅を建設するそうだ。
(2012年5月3日撮影。これは岐阜県