おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

宇宙人? (20世紀少年 第388回)

 第13巻の143ページ。トラックの屋根には拡声器が設置されていて、ケロヨン店長はさっそく宣伝用の放送を始めた。もっとボリュームを上げろと、やる気満々である。しかし、イントロが「ゲロゲーロ♬」では、腹が減っていても食べに来る気がしないのではなかろうか。

 他方、息子は周囲を見渡し、「この街、人っ子ひとり見かけないんだけど」とつぶやいているのだが、父親は意に介さず、「客寄せしてこい」と命じている。息子が「それだけは嫌なんだよぉ」と拒絶反応を示しているのは、蕎麦屋のプラカードと、カエルのかぶり物であった。


 彼は知るまいが、直前の車中で親父が語っていた「あいつに顔向けできない」の「あいつ」は、西暦2000年の夏、東京のヒート・アイランドの暑さをこらえながら、もっと恥ずかしい看板を掲げ、ウサギ姿で働いていたのだ。

 しかもウサギの色は商売に相応しく、第4巻の表紙絵によるとショッキング・ピンクであり、渋谷の街角で「ウサギ、ムカつく」などと罵声を浴び、蹴飛ばされるなどの不当な扱いを受けていたのであった。同行者のオッチョは黙って眺めている。案外、内心おもしろがっていたのかもしれない。


 手塚治虫の漫画やアニメには、無数の動物が出てくる。それに加えて、宇宙人も妖怪もたくさん登場する。「ジャングル大帝」はもちろんのこと、「火の鳥」にも「ブラックジャック」にも「ブッダ」にも、ありとあらゆる生命が満ち溢れている。ところが、大友克洋浦沢直樹の作品には、あまり動物は出てこない。

 大友さんは「アキラ」の最後で「手塚先生に捧ぐ」と書いていた記憶があるし、浦沢さんは「鉄腕アトム」へのオマージュとして「PLUTO」を描いている。「20世紀少年」にも宝塚先生が登場する。手塚作品の影響は大きいはずなのだが、この点に関してはフォロワーではないようだ。


 この「20世紀少年」に表だって登場する動物といえば犬だけだろう。ユキジの麻薬犬ブルー・スリーこと青3号と、ロッキーこと青6号、ヴァーチャル・アトラクションに出て来た醤油工場の猛犬。「パイナップルARMY」も犬は何回か出てくるが、他の動物を見た覚えがない。

 しかし、ウサギはお好きなのかもしれない。ケンヂのかぶり物、カンナが挑戦した博打の「ラビット・ナボコフ」、第1巻で出てくる「ファンシー・ショップ マルオ」のウサギ・マーク。「21世紀少年」に出てくる「W3 ワンダー・スリー」も、主役はウサギ姿の宇宙人である。手元にないので記憶に頼るが、「パイナップルARMY」の第1話には、「わたしのラビちゃん」というウサギのぬいぐるみが出てきたように思う。豪士によれば、誰だって命より大事なものがあるそうだ。


 息子が客寄せのため町に踏み込んで最初に出会った相手は、半死半生で倒れている少年であった。少年はほとんど意識が遠のきつつあり、「誰もいない。神様、この世はもう終わったのかなあ」と心の中でつぶやいている。この神様は、あの神様ではないな。

 「誰にやられたの? 悪魔? 宇宙人?」と自問自答しながら気を失いかけた少年は、かすみつつある視野の中、おぼろげながら誰かが立っているのを見た。カエル姿のケロヨン2世なのだが、少年は「宇宙人?」と思った。私の目には、カネゴンにしか見えないが。


 1960年代に生まれ育った「役得」の一つに、ウルトラQウルトラマンウルトラセブンを少年時代に見ることができたという幸運がある。テレビはあまり見せてもらえなかったのだが、このシリーズだけは別格で、母によると「大人が見ても面白かったから」だそうだ。同じ理由で、わが家も全国でも「8時だヨ!全員集合」が大人気を博した。

 ウルトラQが始まったとき、私はまだ幼稚園児で放映開始自体を知らなかったのだが、運よく年上の親戚の少年が我が家に遊びに来ていて、第1回のゴメスとリトラの闘いを観た。怪獣の造形として印象深いのはケムール人とバルンガだが、エンディングの見事さでいえばカネゴンが屈指の出来栄えであった。なお、ウルトラQの主人公は、万城目という珍しい名字である。


 息子は「おい坊主」と声を掛けたのだが、少年はもう返事をする力も残っていないのか、目を閉じたまま反応がない。息子はあわてて親父を呼んだ。ケロヨンは早速ソバをご馳走している。ちゃんとスプーンの用意もあるのだ。急き込んで食べる少年に、そば屋の蛙は「ゆっくり食べな」と優しく声を掛けている。

 アメリカ南部の日差しは強い。ケロヨンと少年は木陰で休んでいる。「父さん、母さんは?」と訊かれても、少年は無言のままだ。食べ終わると少年はお金を払おうとした。カネゴンになる心配はないな。1ドル札が1枚か2枚と、コインが何枚か。有り金、全部なのだろう。


 2004年、晩秋の北陸を襲った新潟県中越地震では、家をつぶされた人々が寒い避難所で北国の冬を耐えなければければならなかった。ボランティアや地元のお役所の皆さんが炊き出しに当たり、温かいソバやうどんを提供したのだが、幾ら断っても高齢者中心の避難民の方々は、お金を払おうとして炊き出し係を困らせたと聞く。

 「代金なんていらねえよ」とケロヨンも言った。江戸っ子だもんな。こんな調子だから、アメリカの大都会では成功しなかったのかもしれない。これに対して少年は、「払わないと、父さんみたいになっちゃう」と妙なことを言った。



(この稿おわり)



このブログを始めたころもアジサイの季節でした(2012年6月7日撮影)




おまけ。近所の薬局にて(2012年4月27日撮影)