おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

カエル親子の会話より   (20世紀少年 第387回)

 今日も余談から入ります。第7巻の86ページ目に出てくる「テロリスト集団”ケンヂ一派」の合成写真の下に、「国際法上禁じられた毒ガス」という、教科書の一節を読み取ることができる。第11巻の148ページ目に出てくる「モンちゃんメモ」には、「細菌兵器研究」、「サリン」の次に「VH」らしきアルファベットが見える。

 以前、これは「VX」のことではないかと書いた。最近、元信者が捕まってニュースになっているオウム真理教について、ネットの書き込みなど眺めていると、若い人たちの中には(十数年前のことだから仕方ないのだが)、この教団がしでかした事件をほとんど知らない人もいるらしい。VXはオウムが実際に使った毒ガスだが、”ともだち”も悪用したのだろうか。


 第13巻に戻ります。蛙マークが描かれた軽トラの中では、「親父〜」という息子の呼びかけに応じて、「この車を走らせているときは暖簾を出しているのと一緒だ」という不思議な論拠を持ち出して、「店長と呼べ」という父親の命令から会話が始まる。第13巻には「ケロヨン」という名前は一度も出てこないのだが、どうみても彼である。

 大人のケロヨンは実に久しぶりの登場で、第2巻、モンちゃんを送った成田空港でユキジと会って以来のことである。ケロヨンの本名は分からない。第1巻のケロヨンの披露宴では、ケンヂが友人代表のスピーチ役を務めているのだが、「ケロヨン君におかれましては」と言っているので、祝宴の場においてさえ本人や親族に対しても無礼ではない呼び名であるらしい。


 証拠はないが、式場の玉姫会館にいる以上、この新郎新婦の仲を取り持った可能性がある「葬儀屋のオキクばあ」は、新郎を「そば屋の蛙」と言い捨てている。その後に出てくるケンヂのお母ちゃんとご近所のおばさんの会話でも、「今日はケンヂちゃんは?」、「ケロヨンの結婚式」、「ああ、そば屋の」という調子なので、どうやら商店街公認なのだ。まさか、本名か。

 ちなみに、我が家から歩いて行ける距離にもあるが、玉姫神社というのは全国にあるらしい。ご神体はキツネでおなじみのお稲荷さん。なんでも新田義貞が戦勝を祈念して弘法大師さまの真筆を宝塔に収めた古事から、「玉秘め」の名が起こったらしい。


 それがなぜ結婚式場の名前として愛用されているのか知らないが、たぶん玉姫という字面が良いからだろう。披露宴は、少なくとも私の若い頃は、綺麗な姿の新婦を披露する場であり、新郎は添え物であった。ちなみに、新田義貞は、「太平記」の愛読者である私にとって、戦うたびに負ける大将という印象が非常に強い。

 さて、その式場で、マルオに「かわいそうにあの嫁さん、やまほどオタマジャクシ産まされるのかな」と言われた夫婦だが、どうやら子供は一人息子らしい(なお、カエルは卵生であって、オタマジャクシは産まない)。

 ケロヨンと息子との会話によると、ケロヨンは「残り物には福がある」とまで自慢していた奥さんと別れ、息子を連れてアメリカに渡ったようだ。なぜアメリカなのかは不明である。息子は、それほどカエル顔ではない。


 息子は日本に帰りたがっている。母親とも連絡を取り合っているし、今からでも大学に行きたいと言っているから、高校を出てから親父殿に強引に連れてこられたのだろうか。いや、高校は中退か、あるいは中卒かもしれない。第10巻に出てくるケロヨン一家の子は、血の大みそかの時点で赤ん坊だから、同じ子なら2015年では16歳前後である。

 息子は経営学を学べば蕎麦屋の経営にも役立つかもしれないと主張しているのだが、父親はソバ打ちの練習でもやれと相手にならない。両方とも正論であり、いつまでも平行線をたどるだろう。

 ケロヨンはニューヨークやロサンゼルスでの経営に失敗したと言っている。世界中の食い物があふれているからだというのが、その失敗から得た教訓であり、そのため遥かニューメキシコで移動式の蕎麦屋をやっているのだ。「アメリカなんてしょせん、どでかい田舎だ。田舎を制する者がアメリカを制するんだよ」というケロヨンのアメリカ論が面白い。


 5年近くもアメリカに駐在したので、暇と金さえあれば国内旅行をし、20余りの州に行った。たいてい空港か駅でレンタカーを借りて走り回るのだが、現地での実感はケロヨンの言うとおり、あの国はカウボーイやフォーティーナイナーズの子孫に満ち溢れた巨大な田舎が国を支えていると言っても過言ではあるまい。

 当時、「ニューヨークを観て、あれがアメリカだと思うなよ」とアメリカ人の同僚に言われたし、生まれて一度もNYに行ったことがないし、行く気もないと語る同僚もいた。今でも新作の映画や選挙のニュースなど見ている限り、アメリカの田舎は変わっていないようだ。彼らは政治的にも宗教的にも保守であり、この連中の機嫌を損ねると共和党は負ける。


 ケロヨンは帰国を望む息子に対して、「まだ俺は帰れねえんだ」と言う。ケロヨンは江戸っ子なまりなので、「帰れねえんだ」は「けえれねえんだ」と読むのだろう。「このまま終わったら、あいつに顔向けできない」と続けるのだが、息子の反応は鈍い。もう何度も聞かされている話なのだろうか。

 さらに父は、「このまま終わったら、俺の人生は逃げっぱなしになる」と語るのだが、息子は生あくびをしている。内心、「大都会から逃げてきたばかりなのに」とでも思っているのかもしれない。あるいは、「俺だけ帰りたいよ」と願っているのだろうか。

 運転中のケロヨンは、前方に田舎町を見た。「さあて、あそこで店開きといくか!」と店長は言った。しかし、田舎を制する夢は、ここで叶うことはなかった。でも、立ち寄った甲斐はあった。



(この稿おわり)



カエルの二人連れ(2012年6月15日、言問通りにて撮影)