第13巻の108ページ目。春さんはマルオを伴い、ヨシツネとカンナを自宅地下のスタジオに案内した。そこは、先ほどまで複雑な表情を浮かべていたカンナも目を丸くして驚くほどの広い部屋。音響装置にドラムのセット。
春さんは「ここでレコーディングもできますがね。でも、ここでは演歌禁止なんです」と妙なことを言った。演歌歌手は世を忍ぶ仮の姿であったのか。
ドラム・セットの正面真ん中にある大太鼓のことを、ベース・ドラムなどと申します。観客にタイコの背中が大きく見えるので、ここにバンド名などを描くことが多い。春さんの場合、「Nami®」となっているのは、きっと波夫の名から取ったものだろうな。模様はシンプルな黒い丸で、同じような黒丸のデザインは、10ページほど前にあるケンヂのバンド時代の、チャーリーのバス・ドラムにも見える。
春さんはセットに着座して、ベース・ドラムに一蹴り入れた。正直申し上げて恥ずかしながら、ドラムは両腕だけで演奏するものだとばかり思い込んでいて、脚も使うというのを知ったのは人生も後半に入りつつある頃だった。観客席からは見えないもんね。
春さんことチャーリーはドラムのソロを聴かせ始めた。カンナは聴覚も鋭い。「この音は、ケンヂおじさんのカセットに入ってるドラムの音...」と呟いている。シンバルを手で押さえて余韻を止め、「私はドラマーだった」とチャーリーは言った。そして、かつてのトレードマークだったサングラスをかける。
御髪(おぐし)がやや乱れ、ほつれ毛が額に一筋。ドラマーはハードワークなのだ。昔バンダナをしていたのは、当時から髪型を気にするタイプであったか。そして彼は、問わず語りに昔話を始める。辛くてもこの来客に伝えなければならないことがあった。今の世の中、信頼関係を醸成するのは容易ではないのだ。
春さんが伝えた内容は、おおむねその前の場面で出ているのだが、追加情報としては、鞍替えした先の火星人バンドはケンヂたちのバンドと同じ事務所であった。そちらのバンドがオーディションを受けるにあたりドラマーがいなかったので、事務所の社長に臨時のドラムやれと言われて、チャーリーは参加したのだという。リンゴもビートルズの臨時ドラマーの経験があった。
公園でチャーリーが詫びるシーンでは、ケンヂはことのほか饒舌であり、火星人の真似までして、相手にほとんど話す間も与えることなく、「いいから行けって」と別れを告げている。詫びようとする人に、あとから言い訳をしすぎたと後悔しかねないようなことを言わせないためには、こうするのが一番なのだろう。
さらに勝手に想像を広げれば、勝ち抜いてデビューが決まった段階で、チャーリーは社長命令で断れずブラボーズに残ったのかもしれない。しかし、春さんはそれ以上、詳しい経緯に触れることなく、ただ一言、「私はケンヂを裏切った」とだけ語る。代りのドラマーなんか幾らでもいるといったのはケンヂなのだけれども、お互いそうは思っていなかった様子。
春さんが自分は裏切り者だと信じる根拠は、あのバンドでなければ、あの音は出せないのであり、それを知っていたからこそケンヂは、そのあとバンドを組まなかったに違いないからだ。自分が抜けた時点で、事実上バンドが自然消滅したことに責任を感じているのだと思う。
3人組のバンド編成というのは、ロック・バンドの最小構成単位である。通常、楽器はギターとベースとドラムスの3種で、そのうち誰かがヴォーカルも担当する。ギター3本とかドラムス2人というような多人数のバンドと違って音に厚みは出ないから、一人一人の技量とそのときの調子、バンドのアンサンブルの良し悪しがもろに出る。
いきおい、揃って腕達者でなければ、3人だけで一流になるのは困難だろう。60年代はロックの時代とケンヂはカンナに言った。クリーム、ベック・ボガート・アンド・アピス、ジミ・ヘンドリクス・エクスピリエンス。4人組でヴォーカル専門が一人というバンドも加えると、ザ・フー、レッド・ツェッペリン。並んだなあ。特にギタリストがすごいわ。
今こそあの音が必要だと春さんは天上を仰ぐ。「ニセモノだらけの世の中に警鐘を鳴らす、今こそケンヂが、今こそ、あいつが必要なんだ」と春さんは言うのだが、「ケンヂのような奴」ではなくて、ケンヂ本人でなければならないらしい。「もう二度と裏切らない」とも言っているし、ケンヂの生存を確信していなければ、通常こういう風には語れまい。
だが、言い終わって、春さんは心なしかうつむいている。カンナもマルオもヨシツネも声なし。ここでは演歌を禁止したまま、彼はずっと待ち続けてきたのだろうか。これからも、ずっとそうするつもりなのか。その心中、測り難くはあるけれど、ともあれ、この男も20世紀少年であった。
(この稿おわり)
新緑の候 (上野公園にて、2012年5月19日撮影)