おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

万丈目の不調 (20世紀少年 第365回)

 ”ともだち”の訃報に接したときの、幹部連中の様子は殆ど描かれていない。見たくもないけれど。唯一、ある程度、その動揺振りが紹介されているのが万丈目です。

 彼より先に知ったのは友民党でナンバー2の席にいる幹事長の小向であったようだが、電話を取り次いだ高須によれば、幹事長も「正月の酒が過ぎたんじゃない? 何を言っているか分からないわ」という錯乱状態であったらしい。

 だが、その時は万丈目も万丈目であった。白っぽい粉と先の細いスプーンがテーブルの上に散らかっている。同じようなタオル地のガウンを来たワイフ気取りの高須に、「また、やったのね。いい加減にしたら? もうトシなんだから」と説教までされている。


 いつまでたっても政治家の金や女や酒のスキャンダルは、あとを絶ちません。われわれ有権者の多くも、これらに弱いので、お互い実はそれほど悪事とは思っていないからだろうか。結局、政界に居座り、あるいは、いったん失脚しても支持者と黙認者に囲まれて復活してくる。

 しかし、寡聞にして不法ドラッグのため破滅した大物政治家というのを知らない。単に報道されないだけか、それとも私が無知なのか。仮に今後、そういう事件があったとして、アルコール依存症と麻薬では話が違うだろう。

 酒ならコンビニやスーパーでも買えるが、法律違反のドラッグを入手したという時点で、裏の世界とつながっていることが露見する。我と我が身の安心安全が第一の関心事である今のわれわれ日本人が、政治家とマフィアの交流を許すはずがない。


 かつて、極道はカタギには手を出さないということになっていた。それが本当だったかどうかは知らないが、私の知っている範囲では、スナックのママさんが「ショバ代」を断ったら階段から突き落とされたというのが、唯一、当事者から直接聞いた被害報告である。衝突しなければ大丈夫という雰囲気があったからこそ、昔は安心してヤクザ映画を観ては楽しんていたのだと思う。

 週刊誌情報によれば、暴対法が施行されたとき、俺達は極道だが暴力団ではないと宣言して組を解散した親分がいたらしい。ともあれ、現代の闇社会は地上げから振り込め詐欺に至るまで、平気でカタギを喰いものにすることを私たちは知っている。だから、大相撲や芸能界の麻薬事件は、昔より遥かに大騒ぎになる。大麻の種子をネットで買って、ベランダで育てて捕まる馬鹿者がいる時代。別世界の出来事ではなくなってしまったのだ。


 それを知らない万丈目ではあるまい。ところが、後半で徐々に明らかになるが、この男はいわゆるギョーカイでの成功を目指していただけなのであって、政治家志望ではなかった様子である。それが”ともだち”をプロモートしているうちに、栄達の美酒に酔い痴れ、すでに2000年の段階ではチャイポンとのジョイント・ヴェンチャーで麻薬の製造販売にまで手を出していた。偶然それを知ったメイは、非業の死を遂げている。

 詳細は知らないけれど、麻薬というのは、きっと私にとっての酒と同じで、少なくとも効いている間は気持ちが良いからこそ、やるのであろう? 苦しいのは中毒者に禁断症状(現代医学の用語では、依存症の離脱症状と呼びます)が出たときではないのか。


 ところが、第13巻第2話の「ともだちの死」において、万丈目は「やっている」間も、フクベエらしき少年に見捨てられるという悪夢を見ているようであり、さらに、それに加えて、手やら顔やらに蛆が湧くという典型的な禁断症状である幻覚が現れている。

 ちょっとやそっとのクスリでは効かないほどの重症ということか。あるいは、トリップ中ながら悪い予感に襲われたのか。ここで引き合いに出して申し訳ないが、予知夢にうなされたときの神様と同じように、絶叫しながら目を覚ましている。はたして、向井幹事長からの電話は最悪の内容であった。”ともだち”は死んだ。


 数か月前、サダキヨの”絶交”指令が出たころの万丈目はまだ溌剌としていたし、今後もまだまだ脂ぎったところを見せる場面もある。でも、本来、悪魔に魂を売るほど腰の据わった男でもなさそうだから、このヤク中状態をみると、積み重ねてきた罪業の数々は本人も気付かぬうちに、彼の精神を蝕み始めていたのかもしれない。

 霊安室で”ともだち”の亡骸にヨロヨロと近づいて、嘘だろ、行くなよ、待ってくれという万丈目の姿は、大物政治家でもハーレムの主でも凶悪組織の筆頭幹部でもない、だたの干からびた老人のそれである。それより、彼が「また、おまえの嘘なんだろ」と言っているのが興味深い。


 おまえという呼び方は、対等か目下の相手に使う。万丈目は若き信者(?)の前や第三者に対しては、”ともだち”に対して敬語を使ってきたが、おそらくフクベエと二人だけのときは、1980年にサークル活動を共に始めた当時のままの人間関係、協業関係にあったらしい。

 フクベエにとってみれば万丈目の行動力やケレン味は使い道があったのだろうし、多少の感謝の念もあったかもしれず、少なくとも評価していたから政治も女も好き放題にさせておいたに違いない。だが、「次」の”ともだち”は、万丈目にとって不本意なことにそうではなかった。


 こんなご老人でも、死んだら泣いてくれる人がいるだけ幸せというものか...。自業自得とはいえ、フクベエは妻に捨てられた男であった。どうしても一目、カンナにだけは会いたくて、故郷の町に戻ったのだろう。危険を承知で、ほんのひと時でも、赤ん坊を抱いて歩きたかったに違いない。

 そもあれ、遺骸を前にして万丈目は、「俺、どうすりゃいいんだよオオオ」と泣き崩れているのだが、返事はなかった。そこで万丈目は幹部を集めて、円卓会議を開催することに決めたらしい。



(この稿おわり)




山里の夜明け(2012年5月4日撮影)