おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

忍者ハットリくんのお面 【後半】 (20世紀少年 第362回)

 第13巻第1話の「記憶にいない男」は、例の合成写真に悪用されたスナップ・ショットの撮影場面から始まる。この交差点の場所が分からない。新宿や渋谷には多くのスクランブル交差点があるが、このような横断歩道は見た覚えがない。グーグルの航空写真でも調べたが見つからない。気になる。

 ヨシツネとユキジが2015年になって、これを誰が撮影したのか思い出した一因は、二人がこのとき「え、写真...?」、「こんな時に...」とそれぞれの不快感を言葉に表したからでもあろう。みんなが振り向くと、フクベエは「記念にと思って...」と言った。このカメラは、地面に落ちたふりをしたときも大丈夫だったのだろうか。


 再びヨシツネの述懐が始まる。学校の帰り道も、駄菓子屋ジジババも、原っぱの秘密基地も、「あいつは僕達の子供の頃の記憶の中にはどこにもいない」とヨシツネは語る。ユキジも、記憶の中にあいつが現れるのは「1997年の同窓会以降」と言う。そんな男がなぜ「僕達のメンバーなんだ?」とヨシツネは悩む。

 卒業時のクラスの同級生ならば、当時の顔と名前ぐらいなら、たいてい覚えているものだろう。卒業写真があるし、クラス会もある。近所なら小学校と中学校は同じ学校というケースも多い。実際、ヨシツネ達のクラスもそうだったのだ。全く記憶がないというのは、よほどのことである。フクベエという少年は、それほどまでに影の薄い存在だったのだろうか。


 実際は、子供時代のヨシツネもユキジも、何回かフクベエと行動を共にしている(あるいは、そう思われる)場面が出てくる。少し先になるが、第16巻で虹を見に行く場面、「見に行かないの?」と振り向きながら訊いているのは多分ユキジで、相手はおそらくフクベエであろう。

 その次の場面で、教室の中でケンヂとマルオ相手に漫画の話をしているのも、まず間違いなくフクベエであり、ヨシツネはすぐそばで会話を聞いている。それに続くその少年の自宅の場面も、フクベエの家だろう。ヨシツネは首吊り坂でも、フクベエと同行しているし、コリンズ大佐の話をフクベエらしき少年がしたときも、その場にいた。全て忘れているらしい。


 もっとも、35ページ目で、ようやくヨシツネは「思い出したよ」と言った。「あいつ、子供の頃、ちゃんと名前を読んでくれって。僕はフクベエじゃない。ハットリだって...。忍者ハットリ君のお面...」と語り、それを受けてマルオは「それが言いたくて、あいつは...」と言った。

 当時の小学校の男子が、名字を呼ぶとしたら、それはあまり仲が良くないか、別のクラスで親しくないといったところか。落合君と山根君が典型例である。フクベエは、「ベエ」などという古めかしい呼ばれ方が気に入らなかったか? モンちゃんみたいに、フクちゃんなら気に入ったか? 子供が「服」を「フク」と読むのは自然だろう。しかし、これは多分、呼ばれ方だけの問題ではないのだろうな。


 ”ともだち”は知りすぎたチョーさんを殺したが、しかし一方で、彼は秘密基地のメンバーたち、特にケンヂには、自分の正体についてたくさんの手がかりを与えている。忍者ハットリくんのお面がその最たるものだが、よげんの書、オッチョが作った目玉のマーク、太陽の塔

 ところが、誰も気づいてくれなかった。「僕を見てよ」どころか、どうやら服部という名字すら話題にならなかったようである。後に彼はサダキヨに負けず劣らずの「顔のない少年」として登場するが、すでに「記憶にない男」、「名前のない男」となって、一人、悩んでいた様子である。彼の訴えは切実であったかもしれないが、同時にやり方が陰惨卑劣であった。


 しかし、死んだ”ともだち”の正体を知った秘密基地の仲間たちは、それ程というか、ほとんど怒りをあらわにしていない。15万人を踏み潰し、ケンヂやモンちゃんやドンキーを殺した主犯であるが、これはどうしたことか。

 みな内心、複雑な思いを抱いていたのではないか。気付いてやっていたら、こんな悪事、こんな死に方はしなかったかもしれない。意味のない想像だが、クラス会や「ともだちコンサート」で、ケンヂが服部の名を思い出していたら、事態はどのように進んだろうか。


 嫌なあだ名をつけられて、嫌な思いをした記憶なら私にもある。この名字が嫌いだと泣いていた友もいた。だが、子供の成長はそのくらいの風当たりから始まって、だんだんと鍛えられ、大人になって社会に出ていく日に備え、世間に吹きすさぶ寒風に耐えられるように育つ。

 人間五十年を過ぎても、忍者ハットリくんのお面では情けない。藤子不二雄にも全ての漫画少年にも失礼である。血の大みそかの夜、”ともだち”と対峙したケンヂの怒りの叫びを聴こう。第8巻。「そのお面も、その塔も、俺達の子供の頃の思い出だ。おまえみたいなクズに、そんなふうに使われたくない。おまえなんかに使う資格はない」。


 これを聞いた”ともだち”は、「あいかわらず面白いね、ケンヂくんは」と軽く受け止めているかのようだが、心なしか、うつむいているようにも見える。ケンヂの正論に、ショックを受けたのではないか。そんな玉ではないか...。直後に、”ともだち”は忍者ハットリくんのお面を外した。言いたかったことは最後まで伝わらず、もはや諦めたかのように。


(この稿おわり)




岐阜、粕川の渓流(2012年5月3日撮影)