おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

なぜ「見ちゃいけない」のか (20世紀少年 第255回)

 
 ようやく第9巻に入ります。第1話の表題は「見ちゃいけない」。ヨシツネが、バーチャル・アトラクション(VA)内のコイズミに必死に伝えようとしている言葉である。見ちゃいけない理由は、第8巻の最後にヨシツネの言葉として出てきたが、「”ともだち”の顔を見たら殺される」と、彼が考えているからである。

 しかし、これまで”ともだち”の顔を見たが故に殺された事例はない。したがって今回は、ヨシツネが「見たら殺される」と信じている論拠を考える。まず、言葉尻を捕らえると、コイズミは首吊り坂に向かうご一行様に合流してから、すでにフクベエ少年の顔を見ているはずなのに殺されなかった。

 すなわちヨシツネの懸念は、正確に言えば「どの顔の少年が”ともだち”なのか分かってしまったら、殺される」ということだろう。それが心配ならば、読者にも分かる。チョーさんは、多分間違いなく、それが理由で「絶交」されたのだから。ヨシツネはチョーさんの悲劇を知らないが、”ともだち”が正体を現そうとしないことを知っているし、必死に正体を隠そうとしていると信じているだろう。


 それにドンキーの死もあるし、ヨシツネが一般論として、”ともだち”の正体を知った者や、知ろうとする者の命が危ないことは当然、念頭にあるに違いない。それはコイズミをVAに送り込んだ時点でも覚悟のことである。それなのに、いきなり秘密基地から駆け出すほど強い危機意識になったのは、「くびつりざか」とテルテル坊主が引き金になってのことだった。

 かつてVAに送り込んだ少年が残した「くびつりざか」と「ともだちとあった あそんだ」というメモにより、ヨシツネは首吊り坂の事件に関わった少年の中に、”ともだち”がいたと判断したのだ。ただし、ヨシツネがVAの首吊り坂を見たという形跡はないし、今そこにコイズミがいるのだが、その場面をヨシツネが見ることはできない。すべて、彼の小学校5年生のときの記憶に基づいた判断であろう。


 第9巻の2ページ目に、ヨシツネが首吊り坂の事件を回想しているシーンがある。「あのとき、テルテル坊主に隠れて話をしていた、上ばきをはいたほうの奴、サダキヨ」。さらに「そして、そのサダキヨを脅していた奴、あいつの顔を見ちゃいけない」と言っている。文脈からして、ヨシツネは「サダキヨを脅していた奴」が”ともだち”だと信じているに相違ない。

 これが直観だとしたら、直観は、しばしばそうであるように、正しかった。いきなり秘密基地から走り出すほどだから、たぶん論理的思考の帰結ではなくて、直観なのだろう。だが、根拠もない単なるまぐれ当たりなのだろうか? そもそも、なぜサダキヨを疑わないのだろうか。サダキヨは、人を脅したり殺したりするような少年ではなかったと思うからか...。


 1997年の同級会で、フクベエはケンヂに対して、サダキヨが秘密基地を知っていたと述べ、これが気になったケンヂは、真夜中なのにマルオを叩き起こして、サダキヨ情報を得ようとした。その話を、ケンヂは2000年に招集した仲間に伝えなかったのだろうか。実際、彼らは友民党を追うばかりで、サダキヨの身の上を調べようとした形跡がない。ケンヂは話し忘れたのか? みんなそれどころではなかったのか。

 前回、第16巻に出てくる実際の首吊り坂の屋敷におけるフクベエとサダキヨの会話を一部引用した。その続きは以下の通り。「いいか、僕はまだ東京には帰っていない。僕はまだ大阪の万博にいるんだ。このテルテル坊主はおまえひとりで仕掛けたんだ。僕がやりましたっていうんだ。いいか、このこと絶対にしゃべるなよ。もししゃべったら、本当にもう友達じゃないからな。もししゃべったら本当に...」と言いかけたところで、「誰かいる」ことにフクベエは気付いた。


 この「誰か」はそのときのフクベエには分からなかったが、読者にはヨシツネ少年であることが分かる。ヨシツネが会話をどの時点から聞いていたか分からないが、「脅していた」と覚えているのだから、前回引用した「しゃべったら殺すぞ」も聞いたに違いないと思う。

 するとヨシツネの懸念とは、もしもコイズミがVA内でこの会話を聴き、さらにテルテル坊主の中の少年たちと顔合わせをし、そして大阪万博にいるはずなのに東京にいて、このテルテル坊主を作った」という事実を隠ぺいしようとしている少年が誰なのかを知ってしまったときは、仮に、サダキヨがそれを口外してしまった場合と同様、少年に(あるいは、ともだちランド側に)殺されるということなのだろうか。


 その懸念自体は分からないでもない。だが、繰り返すと、なぜヨシツネ隊長は、自らの記憶の中の脅迫少年が、”ともだち”の少年時代だと断定したのだろうか。私にはその根拠が分からない。それに、この発想が、その後、活かされていない。第12巻にユキジとコイズミとともに、首吊り坂のことを話題にしているシーンが断続的に出てくる。

 しかし、この夜のテルテル坊主に隠れた少年たちの会話は、この先、全く無視されている。のちに、オッチョはカンナに対して、ヨシツネのことを「昔から物覚えの悪い奴」と語っているが、あれはジョークでも慰めのための言葉の綾でもなく、事実関係の指摘であったか?


 このままでは後味が良くないので、少し想像を巡らせよう。繰り返すが、”ともだち”に取り込まれてしまった少年は、シーツで作ったテルテル坊主と、「ともだちとあった あそんだ」というメッセージをヨシツネに残している。そして「くびつりざか」。少年は”ともだち”相手に、どんな遊びをしたのだろう? 

 もしも、ヨシツネが、この少年は”ともだち”と一緒にテルテル坊主を作って遊んだと考えたとしたのなら、「脅迫少年 = ”ともだち”」という推測が成り立たんでもない。そんな遊びをして、あんな結果になって、にこにこ笑顔で戻るほど楽しかったのかどうか疑わしいが、ヨシツネはコイズミに攻略法伝授の一環として、こういう説明をしている。

 「普通の人間なら、アトラクションをやっている間中、いろいろなことを考える。自分はなぜこんなことをしているのだろう、彼らはなぜこんなことをさせるのだろう。考えて考えて、いつの間にか何も考えなくなっている。それが奴らの再教育プログラムだ」。取り込まれた少年は、この罠に嵌ったようだ。


 しかし、ヨシツネさん、この時点で”ともだち”の正体にここまで肉薄していながら、第12巻まで何をしていたのだ。もっとも、第9巻から第12巻まで、たいした日数は経過していないようなので、多忙な隊長を責めるのはやめよう。それに、コイズミもVAの中でヨシツネと同じ結論を出しているから、ここでVAに戻ろう。しかし理屈っぽいな、このブログは。

 会話の盗み聞きの直後、ヨシツネ少年は第16巻でもVAでも、幽霊を見て怯えて駆け下りてきたケンヂとオッチョに蹴散らされてしまい、テレテル坊主どころではなくなった模様である。ヨシツネと一緒に屋敷から逃げ出したコイズミは、結局、ケンヂたちの秘密基地で夜を明かしたらしい。朝が来て目覚めると、ミンミンゼミが鳴いている。「まだ、ゲームオーバーになっていない」のであった。


(この稿おわり)



シーナ・イーストンのライブが始まる直前。
(2012年1月13日撮影)