おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

お面 その2   (20世紀少年 第244回)

 だいぶ前にも書いたのだが、この作品で過去が描かれるときには、三つのパターンがある。(1)実際にあった過去(正確に言えば、この物語の世界で実際にあったという前提で、作者が描いている過去)、(2)登場人物の誰かの回想シーン、(3)バーチャル・アトラクション(VA)。

 誰の思い出にも、記憶違いというのはあるから、(2)には誤りが含まれている可能性がある。さらに、(3)には誤りのみならず、嘘も含まれている。(1)と(2)と(3)は、この順番で歴史的事実から遠ざかり、信用度が落ちる。だが、(2)も(3)も看過できない内容をふんだんに含んでおります。


 前回は大人になってからの”ともだち”のお面についてであったが、今回は少年時代のお面が話題です。最も頻繁に出てくるのはナショナルキッドのお面であり、しかも、常連の愛用者だったサダキヨに加えて、もう一人のナショナルキッドのお面の少年がいたことは、(1)にも(2)にも(3)にも出てくるので、間違いなく存在すると考えて良いだろう。

 もう一人、ナショナルキッドのお面をかぶって出てくるのは、万博に行っていないことを隠すためにサダキヨのお面を借りて漫画を買いに行くフクベエであるが、これは特例です。(1)のフィクション内における歴史的事実に限って言えば、少年時代のお面は徹底して2人のナショナルキッドなのだ。

 ついでに言えば第四中学校で1973年に屋上から飛び降りようとした少年も、下巻の(3)では明らかに、第21巻第11話の(1)でもまず間違いなく、ナショナルキッドである。したがって、私の記憶の範囲では、少年時代に忍者ハットリくんのお面をつけた少年は、(1)には出てこない。しかし、ややこしいことに(2)と(3)には出てくる。まず(2)から見よう。ケンヂの回想である。


 第3巻ですでに触れたが、1997年の同級会において、突然あらわれたフクベエに、秘密基地の存在を知っているもう一人の子供として、サダキヨの名を聞かされてケンヂが思い描いているサダキヨのイメージは、同巻113ページ目に描かれているように、忍者ハットリくんのお面をかぶっている。118ページにも同じ絵がある。

 不可解なのは同じ日の夜中、124ページ目でマルオとサダキヨの思い出話をしているときにケンヂが思い浮かべているのは、ナショナルキッド姿のサダキヨ少年である。ハットリくんのお面のサダキヨのイメージは、1997年の同級会の直前、「ともだちコンサート」で見たハットリくんのお面をかぶった”ともだち”の印象と混同したものか? 


 しかし、どうやらそうでもないらしい。第3巻の78ページ目、ともだちコンサートから放り出されたケンヂは、ハットリ君のお面をつけて、「遊ぼうよ、ケンヂ君」と言っているらしい少年の姿を突如、思い出して「誰だっけ?」と一人、驚いている。この時点では、まだサダキヨの名は、フクベエから聞かされていない。お面だけで思い出した過去なのだ(しつこいが、過去の事実と思い出は同じではないけれど)。

 何度も繰り返して気の毒だが、1997年時点で、少年時代に関するケンヂの記憶力は情けないほどに儚い。敷島教授の家やドンキーの手紙で「俺達の印」を見てもオッチョを思い出さず、ドンキーのお通夜でカツマタ君の名をモンちゃんから聞かされても理科室の幽霊譚を思い出さず、何より、空港でマルオやヨシツネの口から、ユキジの名を聞いてもユキジを思い出さない。だれもが彼にとって重要人物だったはずなのに、この体たらく。


 そのケンヂが、思い出したのだから、本来、もっと重要であってもおかしくないのがハットリ君のお面の少年であるが、第3巻以降ふっつりと姿を消してしまい、本筋と絡むことなく、伏線として機能していないように思う。長編だから、そういうこと事態は珍しくも何ともない。完全に消えてしまうならば。

 ところが、この少年の姿は、「21世紀少年」の下巻という遠い先に、もう一回出てくるから、作者の書き間違いとか忘却では済ますことができない。下巻の108ページ目、VAから強引に「パンチアウト」する際に、ケンヂの脳裏をよぎったらしい映像の幾つかの筆頭に、この子が出てくる。服装もベルトの外れ方も同様。誰なのだろう?


(この稿おわり)


私の朝の散歩道の夜明け。(2012年1月10日撮影)