おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

no woman no cry   (20世紀少年 第360回)

 一人目の”ともだち”も無事、滅びたことだし、今回は思いっきり脱線します。私は全く感傷的な人間ではないが、どうしてもこの曲だけは聴くたびに泣きそうになるという歌が一つだけある。その題名が今回のタイトル。唄っているのは1970年代、満天下にレゲエの魅力を知らしめた男、ボブ・マーリー

 第5巻にちょっと戻って109ページ、例の「みんな死なないでくれ」の演説をした後でケンヂはカンナに言葉をかけている。「おじちゃん、いかなきゃならない。おとなしく待っていられるな? 泣くな。人には人生に一度、どうしてもやらなくちゃいけないときがある。おじちゃん、絶対、戻ってくる。だから泣くな」。3歳のカンナは涙こらえて、「うん」と応えた。


 1978年、私は大学に進学して初めて故郷を離れ、京都で下宿暮らしを始めた。やりたいことはいろいろあるが、喫茶店なるものに出入りしたいという壮大な夢があった。ボブ・ディランの名を初めて意識したのは、たぶん中一のとき大ヒットしたガロの「学生街の喫茶店」の歌詞である。学生には、ああいう世界がなくてはならぬ。

 幸い友人の誘いで入った大学そばの喫茶店では、バター・ライスが美味しいし、コーヒー一杯でいつまで居座っても嫌な顔一つされず、何度も水を注ぎに来たりもしない。すっかり気に入って、おそらく何百回も通ったと思う。そして、その店では、いつ行っても聴いたことのない同じシンガーの曲を繰り返しかけていた。独特の嗄れ声と不思議なリズム。


 その音楽が誰の何だかを知ったきっかけは偶然によるもので、当時は映画と名が付けば何でも観ていた私が、偶然、レゲエの幾つかのバンドのライブを収録したフィルムを観たときである。圧巻はボブ・マーリー&ウェイラーズの演奏であった。会場に入りきれなかった無数の客が夜のジャマイカの路上にあふれ、ステージから漏れ聞こえてくるウェイラーズの音楽に合わせて踊る。踊る。踊る。

 だが、ちょうど私がその映画を観たころ、ボブ・マーリーは36歳の若さでこの世を去った。ファンは、「彼が歌うと、世界は一つになった」という別れの言葉を捧げて、その早すぎる死を悼んだと聞く。「no woman no cry」は彼らの代表作で、この曲には幾つか異なるヴァージョンがあるが、私は聴きなれた「LEGEND」の録音がやっぱり一番のお気に入りだ。コーラスが素敵。

 ボブのヴォーカルはこよなく優しいが、歌詞を読むと決して商業的なラブ・ソングではない。ちょいと、ケンヂ風に歌詞の一部を訳してみるか。なお、文中のトレンチタウンはジャマイカの地名、ガバメント・ヤードは共同居住施設の固有名詞。


 俺は覚えている トレンチタウンのガバメント・ヤードで 腰かけながら 
 偽善者どもを見つめていたな 奴らは仲間に紛れ込もうとしていた
 ここに来るまでに 良き友を得たが 良き友を失ってもきた
 未来は明るいが 過去を忘れるのは無理だ 
 だから涙をふいて もう泣くな お前は泣くな

 (中略)
 行かなくちゃならない 俺がいなくなっても 戻るまでの間
 何もかもうまくいく うまくいく うまくいく
 だから泣くな お前は泣くな


 ケンヂおじちゃんは、なかなか戻ってこなかったので、カンナはおとなしく待っていられなかった。何もかもうまくいったとは到底いえず、カンナは何度も悔し涙を流す目に遭った。それでも、だんだんと嬉し泣きが増えてきたのだから、頑張った甲斐はあったというものだろう。

 第2巻の42ページ、白馬に乗った王子様は、「泣くな、ユキジ」と言った。「俺達の仲間に入って、悪と戦おうぜ」とも言った。ケンヂはカンナにかけたような言葉を、肝心なときにユキジに伝えないまま消息を絶った。でも同じあの日に歌ったではないか、50年後も君とこうしているだろうと。そろそろ戻ってきても良いのではないかい。


(この稿おわり)



連休中の岐阜の青空(2012年5月3日撮影)