おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

60年代風    (20世紀少年 第191回)

 そろそろ第5巻も終わりに近づいた。大家の常盤さんに「食えないコ」になるよと忠告されたユキジは、カンナにそれを伝えるのだが「あたしタコじゃないもん」と反抗期そのもの。でも事実タコではないので、ユキジは話題を変えて、「だいたい、何なの、この部屋は?」と追及を始める。

 カンナによれば、1960年代風にリフォームしているそうで、ケンヂおじちゃんが60年代はロックの時代だと言っていたかららしい。何の説明にもなっていないような...。

 カンナに「ユキジおばちゃん」と呼ばれて、ユキジは(このときに限らず)、おばちゃん呼ばわりを止めさせて、ユキジさんと言い直させているのだが、こういう女心は微妙すぎて私には分かりません。


 小母ちゃんというのは、家族親戚以外の大人の女を意味する立派な日本語なのだが、最近の日本人女性は若く見せたい、見られたい、そう言われたいというのが何より大事らしいので(男も同じか)、ユキジとて例外ではないらしい。

 いつまでも若く見せたければ、いつまでも幼稚なままでいるのが手っ取り早くて良いのだが、まあいい。もっともカンナにとってのユキジは、小母ちゃんではなくて伯母(叔母)ちゃんなのかもしれないけれど素直に認めない娘であった。


 では、60年代風の内装とはどんなものか。カンナが手にしているのは、オバケのQ太郎の手袋か? 同じ漫画家のヒーローだが、ドラえもんに圧倒されて、すっかり過去の遺物になってしまった。ロックとは関係あるまい。だっこちゃん人形とスマイル・マークも60年代だが、これもロックとは関係ない。

 45回転のレコードとピース・マークとサイケデリック・アートのようなものが、ある程度ロック風かもしれないが弱い。わずかに、壁に貼ってあるジミ・ヘンドリクスのアルバム・ジャケットの千手観音と、ホワイト・アルバムの頃と思われるジョン・レノンの似顔絵がロック・ミュージック関連だが、それ以外は、どうみても普通の若い女の部屋だな。


 カンナがユキジのうちを家出したのは、彼女が路上でケンヂの歌を歌うのを、ユキジが反対するからだという。実際、この部屋の中で流れているらしいケンヂの歌に対しても、ユキジは止めなさいと叱りつけている。理由は、「そんな時代だから」だと歯切れが悪い。

 このあとの出来事は、すでに話題にした。ユキジはカンナが迷惑をかけた、隣に住むウジコウジオに謝罪に出かけるが、彼らの作品を酷評して挨拶もなく立ち去るユキジであった。彼女は自分に厳しい女性だが、他人にも、ものすごく厳しいのであった。だが、漫画家にも事情がある。


 彼らは、そのあとで千代田線に乗り、「元国会駅」で下車している。かつての国会議事堂は、2000年に爆破された後、どうやら”ともだち”の公邸に改築されたらしい。二人はモスクのような珍妙な建物の前に並ぶ陳情者の列に加わっている。「新青少年保護育成条例」違反で捕まった同業者の赦免を願い出るためであった。

 地球の平和を守る男のマンガを描きたくても描けない。「そんな時代」なのはこの漫画家たちとて同じなのだ。事情を知らなかったとしても、ユキジは少し厳し過ぎたであろう。ウジコウジオによれば、「宝塚先生も西森氏も青塚氏も捕まった」らしい。それぞれモデルが誰か、言うまでもあるまい。


 そして、まさか彼が捕まるとはと二人が驚いているのが、角田氏であった。つのだじろうがモデルだろうと私は書いたものの、ここで「かくた」とルビが振ってあるな。まあいいや、大勢に影響なし。ウジコウジオのお二人は、陳情書のみならず、獄中の角田氏に手紙も送っている。それが後日、破獄の原動力になる日が来る。親切な人たちなのだ。

 ところで、ラブコメ30年周期説というのは、本当だろうか。2014年の30年前は1984年ごろ、その30年前は1954年ごろだが、そんな流行があったのだろうか? そもそも私はラブコメというジャンルが良く分からず、気色悪そうなので分かろうとも思わない。ユキジと同じような感想を抱くであろう。作者に面と向かって、それを口にする勇気はないけれど。




(この稿おわり)



第5巻の87ページ、血のおおみそかの夕方、ケンヂが歩いていたところ(推定)。
(2011年12月1日撮影)