おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

なぜ悪い予感がしたのか  (20世紀少年 第353回)

 「20世紀少年」は緻密に構成された物語だが、ときには辻褄が合わないなと感じるところがあり、その都度、強引に解釈したり問題を先送りにしたりしてきたのだが、今回もそういった悩ましい箇所の一つが出てくる。表題のとおりで、なぜヨシツネは「悪い予感」がしたのかという点です。

 第12巻の178ページ目から、ヨシツネは問わず語りにクラス会での「スプーン曲げ事件」の顛末を話しているうちに、あのとき誰かが手を挙げたはずであり、関口先生が誰だったのか分かった旨の発言をしていたことを思い出す。訊くとコイズミは桃源ホームの名前を覚えていた。


 ヨシツネはホームの人に、明け方に電話して申し訳ないと詫びている。ついでに、先日はヘリコプターでお邪魔して済みませんでしたと言ったらどうだったろうね。関口先生は幸いなことに起きていた。夜明け前だが、老人は早起きなのだ。みんなでお茶を飲んでいるらしい。

 ヨシツネは、1971年度卒業の皆本ですと名乗っている。これは若い読者向けのサービスであろう。平成に年号が改まるまで、西暦に年度が付されることは、まず無かった(今でもお役所は使わない)。皆本君は昭和四十六年度の卒業生である。

 ヨシツネは率直に用件に入るのだが、先生に断られてしまう。先生は手を挙げさせるに際して、小学生のときも、クラス会のときも「先生怒らないから」という条件を付けている。勝手にしゃべるわけにはいかないのだ。先生は墓場まで持っていくと決めているらしい。ヨシツネは誠意を見せつつも、取引せざるを得なくなった。


 ヨシツネは自分も墓場に持って行くはずだった秘密を先生に打ち明ける。それは校長先生の花壇を雑草だらけにしたのは僕らでしたという内容である。そのとき先生は校長に対して、うちのクラスにそういうことをする生徒はいないと言って守ってくれたのだった。

 ちなみに、この話は第6巻に出てくるショーグンの昔話の件と同一であると思うが、ケンヂは大脱走の捕虜たちのようにコソコソしておらず、土をまき散らしながら校長先生に朝の挨拶などしているのだから、容疑者になって当然であろう。ヨシツネが真似て同じことをしたかどうかは描かれていないが、ここで「ケンヂがやりました」では話が進まない。


 さて、これが墓場まで持っていく話かどうかはともかくとして、ヨシツネは腰を90度に折って、最敬礼の姿勢で先生に詫びている。私はこういうふうに、受話器を握ったままお辞儀をしながら、お礼やお詫びをする人が好きです。きっと声の調子などで、相手にも誠意が伝わるはずだ。

 もっとも、それを見ているユキジは腕を組んで、「何をしているのやら」という顔つきである。「やっぱり、この子たちバカばっかりだったんじゃないの」と内心、呆れているのだろうか。コイズミも目を丸くして、何事かといった風情である。でも、がんばった甲斐はあった。先生は「よく言った、ヨシツネ」と評価してくれたし、それなら自分も話さなくてはと言ってくれたのだ。


 挙手した者の名を聞いたヨシツネは、「悪い予感が、当たったよ」と言った。これまでの話の流れからして、関口先生が伝えた名前は、血の大みそかの写真を撮った者と同じだったに違いない。先生はケンヂ、サダキヨ、ヨシツネと呼ぶ人で、遠藤、佐田、皆本とは言わないから、おそらくここでは「フクベエ」と言ったのだろう。

 さて、例の写真は後に報道や歴史の教科書に使われるようになったのだし、しかも悪どく合成されているのだから、撮影者が”ともだち”ではないのかと疑うのは当然である。同様に、ヨシツネが悪い予感がしたという以上、スプーン曲げの犯人が、”ともだち”かもしれないという考えが背景にあってしかるべきである。その根拠が何なのか、私には見当がつかないのだ。


 すでに全編を一読した人であれば、この直後に”ともだち”本人が、自分がスプーン曲げをしたのだと述べていることも知っているし、物語の後半でフクベエ少年とスプーン曲げの関係の深さが繰り返し出てくるのを知っている。しかし、この時点のヨシツネや、初めてここまで読み進めた読者は、”ともだち”とスプーン曲げの関係が分からないはすだと思う。

 これまでに出て来たスプーン曲げのエピソードを思いつく限りに並べてみると、まず、市原・新倉両弁護士が万丈目と喫茶店で会った際、万丈目が立ち去った後、3人のスプーンが曲がっていた。犯人不明。コイズミが、ともだちランドに連れて行かれるバスの中で、スプーンが曲がってしまい自分で驚いている。


 カンナは3歳児にして、「ゆりげらあ」の話をケンヂから聴いた際に、カレー屋さんで初スプーン曲げを経験。2014年には、新宿歌舞伎町教会で、公衆の面前でスプーンを曲げているし、ミセス・ドーナツを立ち去る際にも曲げている。しかし、これまでに登場した”ともだち”は宙に浮いて見せたり、「友力」で人の心の中に都合よくイメージを喚起させたりしているが、スプーンは曲げていなかったと思う。

 もっとも例えば、2001年から2013年までの”ともだち”は、ほとんど全く描かれていないので、このころは盛んにスプーン曲げの余興をしてみせており、”ともだち”といえばスプーン、という印象を持たれていたのかもしれないけれど、そうであれば、ヨシツネはこの日まで、クラス会での出来事をすっかり忘れていたということになる。有り得ない話ではないが。


 つくづく惜しいのは第2巻で、ヤマさんがチョーさんに対して、関口先生は犯人の名前を覚えていたのかと質問したのに対して、チョーさんが「それがな...」と切り出した途端に、娘の裕美子さんから電話が架かってきて会話が中断し、それきりこの話題に戻ることなく終わってしまったことである。

 ともあれ、ヨシツネは悪い予感が当たったと明言した以上、もはや”ともだち”の正体疑いなしという確信を得たに違いない。長年、このために危険な調査活動を秘密裏に続けてきたのであるが、同級生が怪しいと分かっていたとはいえ、彼とユキジにとって何と残酷な結論であったことか。この続きは13巻に出てくるので、そこでまた話題にします。



(この稿おわり)



田んぼにアオサギらしき足跡(2012年4月30日、岐阜県揖斐川町にて撮影)