おじさんの雑記帳 

「20世紀少年」の感想文そのほか 寺本匡俊 1960年生 東京在住

放送室ふたたび    (20世紀少年 第175回)

 神様の思い出話によれば、ケンヂはダイナマイトを運ぶトラックの中で、がなり散らすように「20世紀少年」を唄っていたらしい。第5巻の第11話「突入」は、第1巻の冒頭に描かれた第四中学校の放送室が、再び登場する。初めてのロックが流れたのに、中学生のケンヂには「何も変らなかった」という虚しさだけが残った。

 放送室というのは、小学校のときに一度だけ、覗いてみた覚えがあるが、そこには複雑怪奇な機材が並んでおり、一たびこれが動き出すと全校に歌や話が響き渡る。畏怖を感じたのは私だけではあるまい。


 中学でも高校でも、昼休みの放送は、結果的にどんなにつまらなくても、楽しみなものだった。高校のときは、何を考えていたか知らないが、放送部はハード・ロックばかりかけていて、嫌いな人にはさぞや迷惑千番であったろう。私はこういう風にしてビートルズ以外にもレパートリーを広げていったのだ。天国への階段。エピタフ。

 こうして、どこかで誰かが聴いているのである。1973年のケンヂによる放送室乗っ取り事件も、バーチャル・リアリティにこの部分が正確に再現されているのであれば、一人の少年の命を自殺から救ったのだ(救ってしまった、というべきか)。マルオは昼メシ食うのに夢中で何も覚えていないそうだが、ヨシツネとユキジは「あのバカ」が流したT-REXを聴いていたはずだ。


 よく分からないのはフクベエである。この先、物語に登場する少年時代のフクベエはどうみてもロックに夢中になるようなタイプではない。マンガとプラモデルに囲まれた、後世でいうオタクの原型みたいなものだ。あるいは、山根らと怪しげな理科の実験をコソコソやっている小僧である。

 ところが、1997年の同級会の夜、フクベエの「自宅」を訪問したケンヂは、その寝室にT-REXのCDがあるのを見ている。そして、2000年の大みそか、マルオにそれば、フクベエは70年代のロックを収録したカセットを良く聴いていたらしい。趣味が変ったのか、それとも例によって、何か企んでのことか?


 トラックの中でのマルオとの会話によれば、ケンヂ自身も放送室事件のことを忘れていたそうで(健児の健は、健忘症の健)、このフクベエのカセットを聴いて、ようやく思い出したらしい。そんな相手に苦労して、フクベエはCDやカセットを駆使しながら、ケンヂに何かを思い出させようとしたのかもしれない。

 フクベエが死んだあとで”ともだち”を引き継いだ男は、第10巻の151ページ目、カンナに向かって「僕こそが21世紀少年だ」と語っている。なぜ僕こそなのか、追って検討しなければならないが、普通に考えてみれば、この男こそ、ケンヂの「20世紀少年」の放送を聴いて、飛び降り自殺を思いとどまったナショナル・キッドのお面の少年だろう。

 でも、フクベエではないはずなのだ。もっとも、すでに二人一役で”ともだち”を演じているようだし、ケンヂとの接触はフクベエの担当なのだから、相棒のメッセージを伝える役も担っていたのだろうか? 分からん。いつの日か天啓があり、突如、理解できるかもしれない。


(この稿おわり)



自宅から見た東京の落日(2011年11月17日撮影)